| 2004年08月01日(日) |
【聖地リラの僧院を誇り薔薇の咲き乱れる国・・ブルガリア�◆� |
朝目が覚めて窓を開けると雪が降っていた。今日は長駆してカザンラクを経由し古都のヴェリコ・タルノボまでの移動である。
カザンラクはバルカン山脈とスレドナ・ゴラ山脈に挟まれた薔薇の谷の中心地である。この地域はブルガリアの中心に位置し温暖で乾燥した空気が薔薇の栽培に適しているため、古来薔薇から採れる香油の産地として有名である。香水の原料として使われる薔薇の香油の世界市場の8割をこの地方が占めている。
生憎時期が早すぎて、花はまだ咲いていなかったが周辺の田畑には一面に薔薇が栽培されているのがよく観察できた。5月の収穫期には畑一面が色とりどりの薔薇の花で埋めつくされ、夜明け前から採集が始まるのである。民族衣装を纏った女性達が歌と踊りで豊作を祝う「バラの祭典」はこの頃約一週間に渡って開催され、世界中から観光客が押し寄せ賑わうのだという。
我々の一行は薔薇博物館を見学した。博物館と名付けるには恥ずかしいほどの小規模な施設であるが、薔薇の香油の製造工程の写真や昔使われた蒸留釜や道具が展示されている。庭には品種改良のための温室なども設置されているが、ここでも花はまだ咲いていなかった。
ついでトユルベト公園内にあるトラキア人の墓 を見学した。1944年に防空壕建設中に偶然発見されたものであるが、紀元前4世紀後半から3世紀頃のものと鑑定されており、墓の内壁と天井にフレスコ画で戦闘場面や葬送儀礼の様子が数種類の色使いで描かれていて保存状態も良好である。実物は鑑賞できないが精巧に複製されたレプリカでその絵を鑑賞することができる。 このトラキア人はブルガリアに紀元前19世紀〜8世紀頃住み着いたインド・ヨーロッバ語族である。この地域には田畑の中に小高い丘の形をしたトラキア人の墳墓が幾つか残されており我々もその幾つかを通過中に目撃することができた。
ところで現在のブルガリア人の原型はこのトラキア人ではなく、5〜6世紀に移動を開始したスラブ民族に属する西シベリアのステップ地帯の遊牧民ブガール人である 彼等はビサンチン帝国と領土争いを繰り返しながら681 年に第一次ブルガリア帝国を建設したのである。
時期尚早なのでバラの谷では薔薇の花を見ることが出来ず残念であったが、一見桜かとまがうばかりの白いプルンの花がそこここに今を盛りと咲き誇っていた。ここには人通りも少なく閑静で長閑な農村の風景が広がっていた。
バラ谷を画するシプカ峠は1878年の露土戦争でロシアとブルガリアの連合軍がトルコ軍を打ち破り歴史的勝利を飾った場所であるが、ここには戦死した息子達の霊を弔うためにロシア人遺族達が資金を出し合って建立したロシア正教のシプカ教会が葱坊主のような塔を陽光に輝かせて佇立していた。
夕刻にヴェルコ・タリノボに到着し投宿した。 ヴェリコ・タリノボは1187年〜1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた古都である。バルカン山脈の東部に位置し森に囲まれた幾つもの丘とその周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖が独特の景観を作り出しており複雑な地形が入り組み起伏に富む立体的な市街地 は中世の面影を残す町並みが至るところに展開している。イヴァン・アッセン王の治世下の最盛期にはビザンチン帝国をも圧倒し、バルカン半島のほぼ全域を支配したこともあった。当時は文化の中心地として栄え、ルーマニアやモスクワからも留学生がやってきたといわれ、現在でも学都として知られている ツァレヴェッツの丘には第二次ブルガリア帝国時代に宮殿が営まれていたが、オスマン・トルコの猛攻を受けて瓦礫の山と化してしまって史跡として残されているだけである。
投宿したヴェリコ・タルノボ・ホテルはこの街で最高級のホテルであったが、部屋の窓からヤントラ川を隔てて正面にイヴァン・アッセン王のモニュメントを見ることができた。
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