| 2004年07月31日(土) |
【聖地リラの僧院を誇り薔薇の咲き乱れる国・・ブルガリア� � |
▼ブルガリアの旅 ソフィア、リラ、カザンラク、ヴェリコ・タルノボ 2002年4月2日〜4月13日 ソフィアではフロントで貰った地図を頼りに市内探索にでかけたが、文字がキリル文字なので何処を通って何処までいったのかよく判らない。古い大きな教会までたどりついたので地図と照合するとアレキサンンドルネフスキー寺院らしいと思っていたが、後日そうではないことが判った。実は聖ネデリア教会でブルガリア正教の教会であった。丸屋根に蔦が絡まっていたのとジプシーの子供にしきりに銭をねだられたのが印象に残っている。子供の傍らにはケバケバシイ装いの母親もいた。
ジプシーについて若干整理しておくと、Gypsy はヨーロッパから中近東、アメリカまで古来広く分布する放浪民族。起源は明確ではないが、言語、生活様式からインド北西部の下層民族とみられ9〜10世紀頃からヨーロッパの記録にしばしば現れ、14〜15世紀にもっとも多く、現在も総数五百万人、ヨーロッパだけで百万人以上と推定される。純粋種は皮膚は褐色、髪は黒か黒褐色、平均身長165cm程度、数家族〜数十家族でテント、幌馬車の移動生活を送り、その社会は閉鎖的で固有の言語、宗教、慣習を維持し、部外者との通婚も禁止される。歌舞や曲芸の辻興行、馬匹売買、鍛冶屋花売り、占い等を生業とする。『学研 現代新百科事典より』
一部に掏摸、置き引き、窃盗等をするものがあり観光客が被害に遇うことが多い。一説にインドからエジプトに渡り各地に拡散したからジプシイと呼ばれるようになったという。ルーマニアのシビウにはジプシーの総元締めを行う「皇帝」が居住しており、闇の行政府を保有しているといわれる。
今回の旅行中にルーマニアの街道筋でも目撃したが、豪勢な邸宅を構えて定住する者も最近見られるようになった。いわれて、よく観察して見るとケバケバシク飾った建物には窓がついておらず、庭に粗末な建物が建っていたりする。母屋には馬匹を住まわせ、庭の粗末な小屋に人間が生活するのだという。都会では一般人と変わらない装いをしている者もあり、そうした連中を外見からは見分けにくいことが多く、観光客がカモにされる。子供達は就学しない者が多く、生活環境の影響を受けて掏摸、置き引き、窃盗を悪事と考える規範意識が皆無である。
ソフィアの南方にバスで約1時間半走行するとリラ山脈の山中にリラ僧院がある。

突然視界に飛び込んできた僧院は白と茶色の或いは白と黒色の織りなす縞模様が美しくアーチ型の柱が更にその美しさを引き立てている。このあたりで標高は1.000 mを若干超えている。折から背面にそそり立つ山頂には雪が積もり僧院の佇まいを荘厳なものに仕立て上げていた。日本では桜も散り始めた4月だというのに肌吹く風は身を刺すように冷たく手袋がないと指先がかじかんでしまいそうである。
異民族との攻防が激しく栄枯盛衰の目まぐるしいブルガリアの歴史の中にあって、第二次ブルガリア帝国が輝いたのはイバン・アセン2世(在位1218〜1241) の時であるが、このときリラの僧院も当初は城砦として建設され、次第に僧院の形が整えられてきたのである。爾来ブルガリア正教の聖地として国民の崇拝を集めて今日に至っている。ブルガリアの歴史の中には異教徒のオスマントルコの支配を受けた500 年間の苦難の時代があったが、このときもこの僧院だけは破壊されることもなく、別格の扱いを受けてきたのだという。現在、この僧院は男子修道士25人によって守られているが、価値観が多様化してきた現在、若人で修道士になるものが少なく細々と法灯を絶やさぬよう守護しているのが実情であるという。しかしながら国民の崇敬の的となっている場所には変わりがない。
聖ペトカ地下教会はオスマントルコの治世下にあった14世紀に建てられたものであるが、屋根だけを地表に出した半地下式の教会で当時肩身の狭い思いをしたキリスト教徒の苦難の時代が偲ばれて痛々しい。
セルディカの遺跡は地下鉄工事の時偶然発見されたローマ帝国治世下の2世紀のものである。これは市の中心部を取り囲むように約500 m四方に渡って高さ12mの城壁が巡らされたものの一部であると考えられており、この遺構の一角は土産物屋の店舗になっている。
シェラトンホテルの裏手にひっそりと建っている日干し煉瓦を積み重ねて作った聖ゲオルゲ教会は

4世紀にローマ帝国によって建てられたものであるが、保存状態は良好で周囲を取り囲んで建っている近代的なビルと奇妙な対照を見せていて面白い。またこの教会の裏には浴場跡や市街地の跡が残されているがこちらは所謂ローマ遺跡であって完全な形の構造物は残されていない。
大統領府では衛兵交代を目撃することができた。脚を水平にはね上げて歩く姿は一つの型なのであろうが、観光客を意識した振り付けがなされているような気がした。
国立美術館はかつての王宮であるし、シティアートギャラリー、ソフィア教会、ロシア正教教会、アレキサンドルネフスキー教会等ソフィア市で見るべき施設がこの地域には目白押しに並んでいる。
6世紀に建てられたソフィア教会にはキリル文字を考案したマケドニア出身の僧侶キューリロスとメトディオス兄弟のイコンが飾られてあったのが印象に残った。
キリル文字はロシア文字の原型となるもので、9世紀にブルガリアでギリシャ正教の伝道僧であったキューリロス(弟)とメトディオス(兄)の兄弟が布教のために聖書を古代教会スラブ語に翻訳する際スラブ語アルファベットを考案し、表記に用いたとされている。
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