前潟都窪の日記

2004年07月23日(金) 【高福祉高負担の北欧の国々・・北欧四ケ国��】

 ホテルから目と鼻の先の船着場から朝早く観光船に乗り込んでヘルシルト村まで約1時間のフィヨルドクルージングを楽しんだ。スタート時は山間の朝なので日の光も乏しく何となく薄暗い感じの光景であったが船が進む程に太陽も山の上へ顔を出し、水面を碧翠色に変えていく。切り立った崖の岩肌を洗うように流れ落ちる滝も幾条か目にはいる。そうこうしているうちに切り立った断崖絶壁の僅かな空間にへばりつくようにして民家が一戸建っているのが目に入った。ここで農業を営んでいるのだという。よくもこんな厳しい環境条件のもとで生活できるものだと人間の営為の素晴らしさを知る思いである。次々に変わっていく景色に見とれているうちにあっという間に一時間のクルージングは終わってしまった。ヘルシルト村から再びバスに乗りブリクスダール村までやってきた。氷河を見学するためである。

 ブリクスダールからはフィヨルドポニ-




の曳く馬車に乗って、登り道を約15分間走行すると、氷の巨大な固まりが山になっている所へ到着した。ブリクスダール氷河の河口である。河口へ至るまでの道の周囲には樹木や草も青々と繁っている。そして氷河から溶けて流れる川が近くには白い飛沫を上げながら流れている。段差のある箇所ではこれが滝となってその雄姿を誇らしげに顕示して水しぶきを雨の如くふりまいている。

 氷河の河口には山頂から流れてきた氷塊が5〜6メートルもの高さでうすら青い色を帯びて白色の天然の造形美




を見せながら堆積している。一見テープがカールしたかの如き断面を見せているところもある。我々が見学したブリクスダールの氷河はこの時期には活動しておらず、静止した状態で氷塊となっている河口を見学することができた。ブリクスダール氷河は海抜436メートルのところにある長さ百キロメートル厚さ百メートルにも及ぶヨステルダール渓谷の氷河から流れてきた支流である。

 再び馬車に十五分揺られて下山しバスに乗り換えて明日のソグネス・フィヨルドの見学に備えてパレストランドの宿へ入った。

 朝早くパレストランドの波止場からフェリーボートに乗りソグネスフィヨルドをヘラまでクルージングした。ソグネスフィヨルド




は世界一長く、深いフィヨルドである。長さは二百四キロメートル、深さは最深部で1308メートルにも及ぶ。昨日のゲイランゲルのフィヨルドとは趣を異にしてフィヨルドの規模が大きいため幅が広くて湾を航行しているのと変わらない。周囲の山々が切り立った険しい崖になっているところが湾とは違うところであろうか。対岸には集落や農場も見えている。羊を斜面で飼っているのも目撃した。そのうち次第に川幅が狭くなってくると両岸の山が迫ってきだしてフイョルドらしい雰囲気がでてくる。航行して行く前方に険しい山々が重なりだしたと見とれているうちに目的地のヘラへ着いてしまった。

 ヘラでバスに乗り換えてゾグンダール、カウパンゲン、グッドバンゲン、スタルハイムという町村を経由してフロムの町に着いた。途中スタルハイムではヘヤピンカーブの続くつづら折れの急勾配の坂道をスタルハイムホテルまでドライブして眼下に見下ろせる景色





の移り変わりゆく様を堪能した。このスタルハイムホテルには橋本元総理も宿泊したことがあるらしく、夫妻でホテルを背景に撮影した記念写真が展示されていた。ホテルは鉄錆色の建物であるが周囲の景色によく馴染んでいる。時の橋本総理がここへ滞在したときにはここへ通じる道路の交通規制をしたため周辺道路が大渋滞をきたし、日本とはそんなにテロリストの多い怖い国なのかと地元民の顰蹙を買ったという話が伝えられている。ホテルのテラスから俯瞰した景色は絶景の一語に尽きる。

 スタルハイムホテルから別のルートで下って行くと二つトンネルがある。二つ目のトンネルを通り抜けると目の前でフィヨルドが終わって二つの山並みの間にフィヨルドの畔に開けている小さな町がいきなり目の中に飛び込んできた。ここがフロムの町である。フロムの町はフロム鉄道を利用してフィヨルド観光に出掛ける場合、オスロからでもベルゲンからでも必ず経由する交通の要衝地点である。従って山間の町としては一寸した賑わいを見せている。土産物屋、レストラン、スーパーマーケット等もあるが過密都市に生活している日本人の目からすればうら寂しい田舎町だとしか写らない。

 この町で二時間近く時間待ちをしてからミュルダール経由オスロ行きの電車に乗った。車両の横幅が多少広いのか座席は横に五人腰掛けられるようになっている。列車には三つの大きな団体客が競合したが、全て日本人であった。

 車窓には白樺、から松、樅などの木立が続いていて、時々岩肌を滑るように流れ落ちる滝を散見できる。また線路に迫っている岩山には岩石の崩落の跡が認められその下には明らかに崩落したと思われる岩石が堆積している。屋根に草を生やした平屋の木造建築もちらほらと見え隠れする。トンネルを幾つか通り抜けると途中K・ジョスフォッセンの滝の見える所では停車して乗客に写真撮影の時間を与えてくれる。駅ではないがプラットフォームが設けられていて下車撮影が可能なのである。乗り継ぎ駅のミュールダールでは再び時間待ちをしてボス行きの電車に乗った。ここでは外国からの観光客とおぼしき老婦人二人連れと向かい合わせの座席に乗り合わせた。英語でどこから来たのかと聞いてみるとドイツからだという。フイヨルド見学をしての帰りだが昼食がまだだとも言う。座席に座るとやにわにスーパーマーケットで買ってきたらしいパン四個と袋入りのチーズと小さなパックになったバターを取り出した。ナイフでパンを縦に割り、中へバターとチーズを挿入して
むしゃむしゃと食べだした。丁度通りかかった売り子からコーヒーを紙コップに買って美味そうに飲んだ。ドイツ人の国民性は質実剛健であるとよく言われるが、目の前にその見本を見る思いであった。

ボスの町で待ち構えていたバスに乗り今夜の宿泊地ベルゲンまでドライブした。

 ベルゲン近くまできて山間の道を通り抜けたと思ったらいきなり目の前にベルゲン市内の町並が飛び込んできてとても印象的であった。山の斜面に沢山白壁に赤屋根の家が立ち並び深く入り込んだ入江がそこにはあった。

 ベルゲン




はノルウエー第二の都市で人口は約227000人。1070年にオラフ・キュレによって開かれた盆地状の歴史の古い港町である。12世紀から13世紀まではノルウエーの首都であったし、北海に面した港としては唯一の不凍港である。ベルゲンでは地形のせいか雪が降ってもすぐ溶けるという。入江は町の奥深くまで入り込んでおり船便のよい美しい水の町を形成している。

 ベルゲンは中世にロンドン、ブリュージュ、ノブゴロドと並んでハンザ同盟の四大中核都市の一つとして,ドイツのハンブルグやリューベックからやってきた商人が北海産のニシンの集荷流通を独占的に牛耳ってきた商都である。当時欧州各地の漁港から集荷した乾燥ニシンを貯蔵しておく




木造の倉庫群が今は店舗に改装され、往時そのままの姿で何棟も保存されていて中世の町並みを偲ばせてくれる。このブリッゲンと呼ばれる地区はユネスコの世界文化遺産に指定されていて、近くにはハンザ同盟の建物が博物館として残されている。この中には当時ドイツから渡ってきた徒弟達が寝起きした粗末なベッドや道具類等が保存されていて興味つきないものがある。

 ベルゲン市内にはノルウエーの生んだ天才画家ムンクの絵画を多数展示しているラムスマイヤーコレクションやベルゲン美術館の他に工芸博物館、海洋博物館、歴史博物館、自然史博物館、ブリッゲン博物館、ベルゲン劇場博物館、国立劇場、コンサートホール等の施設も整っており文化の香りが漂う町である。周囲の山の傾斜面には高級住宅が軒を連ねていて美しい町を形成するのに一役買っている。市の郊外には不世出の天才音楽家グリーグが愛妻と22年間生活したビクトリヤ調の白い住居も元の形で残されており、愛用のピアノや調度品が展示されている。目と鼻の先にはグリーグが自らも演奏した二百人収容できる愛用のコンサートホールがある。このコンサートホールの中からはベルゲンに入りこんでいるフィヨルドの海を展望することが出来、現在も毎日のように利用されている。このコンサートホールの屋根には例の如く草が山のように生い茂っているのが物珍しい。
 


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