| 2004年07月21日(水) |
【高福祉高負担の北欧の国々・・北欧四ケ国�◆� |
夕刻コペンハーゲンの観光を終えてオスロへ飛び、翌朝市内中心部から北西に位置するフログネル公園

を訪問した。正門とは反対の高台の方から入っていったので先ず最初に目に飛び込んできたのは台座の中央に聳え建つモノリッテンと呼ばれる塔である。これは高さ17メートルで総重量260トンの花崗岩の塔に老若男女121体もの人間像が刻まれている。この塔を囲んで夥しい数の人間裸像が花崗岩に刻まれた彫刻作品として配列されている。それらは男女が抱き合うものや青年がただ一人うずくまるもの或いは親子が睦みあうもの、深刻な表情で考え込んでいるもの等様々な姿態で193体もの彫刻がある。
この石の彫刻群から下段へ下がっていくと今度は噴水があり、噴水の受け鉢を支えた人間像のブロンズ彫刻が幾つか立っている。噴水を巡るブロンズの柵にはこれまた人間の一生を表した彫刻が施されていて、嬰児から骸骨まで様々な姿が表現されている。そして更に下段へ下りていくと人造湖にかかる橋の欄干にはブロンズの人間像がこれまたさまざまの姿をして配置されている。これらの刻まれた人間の像は総計で650体以上になる。
奥行き850メートルほどの公園には花壇も備えられており折しも赤色とピンク色の花が咲き乱れていた。
正面入口の両側には菩提樹の並木が鬱蒼として立ち並びその下にこの公園の彫刻の作者グスタブ・ビーゲランの像が誇らしげに佇立している。ビーゲランはオスロ市と契約してアトリエと作品の発表場所と生活を保証されオスロ市だけのために生涯彫刻を続けたという。ここは世界にも例のない単独作者の作品だけが展示されている公園である。そしてビーゲランは作品の解説を一切拒否したというから、この作品群を前にして想像の羽を伸ばし独自の解釈を試みるのはとても楽しい至福の一時であった。しかも九月上旬だというのに日本の晩秋の小春日和を思わせる心地よい爽やかな天気であった。
ビーゲラン公園の爽やかな思い出を胸にしまってゲイランゲルのフイヨルドを目指して長駆五百キロメートルのバスドライブが始まった。運転手はベンツのバスを三台所有する個人会社の経営者ビダルさんで好感のもてる青年実業家である。1994年のリラハンメラの冬季オリンピック大会では日本のオリンピック選手団の送迎運転手を勤めたと原田選手等の名前を誇らしげに披露した。道中リラハンメラでオリンピックの行われたジャンプ台まで足を伸ばし目の前にジャンプ台を見学した。ジャンプ台の横にはリフトが設置されており、夏場はこのジャンプ台を見学する観光客に開放されていて多くの観光客で賑わっていた。観光客達は束の間の夏に名残を惜しむかのように肌を思い切り太陽に曝してそれぞれの日曜日を楽しんでいた。また車椅子に乗った身体の不自由な人達を戸外に連れだして日光浴やピクニックを共に楽しんでいるボランティアの人々も相当数目撃した。福祉国家と言われるだけあって、健常者は社会的な弱者に奉仕するのが当然であるというコンセンサスが確立されている社会だなあと感じた。
聖火台も近くにあったが、周囲にはコンテナハウスが三個ばかり置かれているだけで意外にも簡素な設備であった。リラハンメルの町は、人口二万五千人の小さな静かな町である。豊かな森林資源に関係のある仕事に携わる人達が多く住んでいるという。オリンピックの時には地元特産のジャガイモで選手団食堂で大量に使われる食器を作り、使用後は土に埋めて資源のリサイクルを図る大会運営で大きな話題を提供した。またこの町はイプセンの作品ヒールギュントの舞台にもなったところである。近隣にはオリンピックのシンボルマークともなった妖精トロールの故郷トロールパークもあり、大きなトロール像が建てられている。
冬季オリンピック滑降競技の行われたヴィンストラという町で昼食をとりロムという町では丸太を組み立てて作られたスターブ教会

を見学した。この建物はキリスト教がこの地に伝わる以前からあった建築様式で鉄釘が一切使われていない。キリスト教が土着のこの建築様式をそのまま教会の建物に取り入れた例としては世界でもノルーウエーのこの地方だけにしか見られない珍しいものだといわれている。
このロムの町に至るまでの道中で見聞した風物で気のついたことの一つに建物の色が総じて赤黒い色をしており圧倒的に木造建設が多いことがある。しかも壁には必ずと言っていいほど横板が使われている。縦板の使われている建物がたまに見られたがそれは大抵倉庫か家畜小屋であった。聞いてみると赤黒い色はこの地方の土に含まれる成分で自然とよく調和するので伝統的に昔から好んで壁の色として使われているということである。
バスが快適な走行を続け針葉樹の森林や広大な傾斜地に広がる田野の風景を楽しんでいると屋根に草を生やした家があちこちに見られるようになる。これは屋根に草を生やすと根が張って屋根が丈夫になるからわざとそうしているこの地方独特の方法なのである。
そして各所に見られる川の色は概ね碧青色だが、氷河から流れ込んでくる水は川中の岩石に当たって空気が混じり、白く泡立っていることが多く、白い中にもどことなく緑がかった色をしている。流れがゆるやかになり川幅も広まった木立のある広場には数多くのキヤンピンキグカーが駐車してテントが張られているしバンガローも立ち並んでいる。持ち出した椅子とテーブルに腰掛けてお茶やコーヒーを飲みながら行く夏を名残惜しんでいる人達が道路沿いの川辺のそちこちにしばしば見受けられた。
目的地のゲイランゲル近くの標高1495メートルのダスニッパ展望台

に差しかかると道路は上り坂になり次第に周囲の植生にも変化が現れる。白樺の葉は黄色く色づき始めており、から松や樅の木もその樹木が次第に細くなり高さも低くなってくる。そして森林限界線といわれる海抜八百メートルを過ぎると立木は一切見られなくなりごつごつした岩肌が剥き出しになって僅かに丈の短い草がへばりつくように生えているだけとなり、消え残った雪がそちこちに散見されるようになる。道路の舗装は既になくなっており砂利だけが撒かれたヘヤピンカーブの連続となる。勾配も次第にきつくなって乗客達の肝を冷しながら高度はどんどん高くなっていく。頂上に辿りつくと期せずして乗客から安着を確認するかのように運転手を労う拍手が一斉に上がった。ここでは周囲の山々や山の頂に残る氷河を一望できる。遙かな下方の谷間にはきらきら光っている湖面も見えている。岩肌を縫って飛沫を上げながら流れ落ちる滝も幾条か目に入る。周囲に見渡せる山頂の北側には万年雪が残っているのに南側では見られない。太陽エネルギーの強大さも山の向きによってかくも大きく影響を受けるものかと感慨一入である。雨でも降った日にはここへ至る車道は閉鎖されるということだから快晴に恵まれた我々はこのダスニッパ展望台に立ち眼下の景観を堪能できる幸運を得たのである。この幸運を同行者同志お互いに喜び合い、造化の神に感謝した。
ダスニッパ展望台を下りてから間もなく宿泊地のゲイランゲル

に到着した。海岸線から切り立った断崖をくねくねとカーブしながら内陸部まで奥深く入りこんできたゲイランゲル・フィヨルドの最深部にあたるところがゲイランゲル村である。ダスニッパ展望台からは遙か下方の谷間に湖のように光って見えていた所である。山間の秘境に鏡のような水面を見せて横たわる湖はこれが遠路遙々大海から入りこんできたものだとはとても考え難い。
その夜泊まった水際のホテルの部屋にはテレビの受像器が置かれていなかった。その理由は秘境のここまでは電波も届かないということなのか、或いはこんな絶景のただなかにあってテレビ等見ているときではないという宿主の思いやりなのかはよく判らない。
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