| 2004年07月24日(土) |
【高福祉高負担の北欧の国々・・北欧四ケ国�ぁ� |
ベルゲンからストックホルムへ夜遅い時間に飛んだ。翌朝ホテルを出てストックホルムの中心広場であるセルゲル広場を通り抜けてヒョートリエット広場で下車し、折から開かれている朝の市場を見学した。魚、果物、野菜、花等生鮮品が並べられて大変賑わっている。この広場のすぐ東側に建っているブルーの建物はコンサートホールでノーベル賞の受賞式が行われる会場としも有名である。
次にストックホルム中央駅の西側にある市庁舎

へ行って前庭を散策しながら二十世紀の名建築といわれるナショナルロマネスク様式の建造物を前後左右から鑑賞した。市庁舎というよりも宮殿か古城を思わせる佇まいである。市庁舎の東側にはストックホルムの創設者ビルガー・ヤールの仰臥像が金箔を施されて市の守護神の如くに安置されている。前庭の先のメーレラン湖に映える影もまた別の興趣をそそる。折からカヌーが五艘ほど漕ぎ抜けて行った。
大聖堂は1279年に創建されたストックホルム最古の由緒あるプロテスタントの教会で長い間、国王、女王の戴冠式や結婚式が行われてきたところである。
王宮の反対側の大広場は証券取引所の建物や赤色、黄色のカラフルな建物に囲まれていて、人々の憩いの場となっているが歴史的には1520年に「ストックホルムの血浴」が行われたところである。デンマークのクリスチャン二世が侵攻してきてこれに屈伏したヴァーサ家の貴族や時の高官90人あまりが断頭刑に処せられて広場が血の海になったといわれている。ガイドの説明に身の毛もよだつ思いで当時に思いを馳せると石畳がもの悲しげに見えてくるから不思議である。その当時からあった建物が五階建ての赤色の建物と黄色の建物と黄土色の三棟の建物で当時の姿を今に留めている。赤い建物の壁面に散りばめられている白い模様は処刑された犠牲者の数を表していると伝えられている。
このあとバスでドロットニングホルム宮殿へ赴いた。この宮殿は1662年にカール十世グスタフの王妃ヘドヴィグ・エレオノラが建設を始めて1762年までの間に現在の形に完成したもので、北欧のベルサイユとも言われるバロック様式の豪華な宮殿である。現在も国王の居城として使用されているが、二階と三階の一画は一般に公開されている。花崗岩で作られた柱や木製の扉に色をつけて大理石に模するなど内部の装飾には高度の技術と工夫が凝らされている。そして広大なバロック式庭園と英国式庭園が建物とうまく調和して美しい光景を作りだしている。帰りはドロットニングホルム宮殿近くで遊覧船に乗りメーレラン湖の光景を楽しみながら市庁舎前の船着き場まで帰ってきた。帰路スエーデン最大の電気会社エレクトロルクス社の威容や高級高層住宅群、停泊している多数のヨット群、行く夏を惜しんで水浴する子供達を目撃し、市民達が豊富な水と親しく付き合っている様子を観察できた。
ガイドに聞いたスェーデンの国情について記しておくと、1814のデンマークとの戦争を最後に185年間戦争をしていない平和な時代が続いた国であること。1913年の老人福祉制度、1918年の女性参政権、8時間労働制等の進歩的な政策は1932年から40年以上続いた社会民主労働党の安定政権のもとで完全雇用、男女平等を目標に更に推進され、退職者年金制度、出産児童手当て制度、教育や医療の無料化制度が充実し高度な福祉国家を実現していること。その代わり直接税30%消費税25%と国民負担も高度化していること。65歳より現役時代の勤労所得の75%支給されるペンショネール制度も確立されて老後の不安がないこと。身体障害者移送サービス制度、乳母車乗車無料制度、旧市街には老齢単身生活者が多いこと等社会的弱者救済制度が充実している国であること。六人に一人の割合で船を持っていること。ひとり当たり建造物専有面積が42平方メートルあって欧州第二位であること等である。
前日夕刻7時45分にストックホルム港で乗船したバイキングラインのラモーレラ号は三万四千トンの豪華な客船であった。8時15分から始まった船内大食堂でのバイキング料理の夕食はワイン、ビール飲み放題の豪華判であった。料理の品数も肉料理、鳥料理、魚料理と豊富にありどれも美味しそうであったが、魚料理だけを生鮭、海老、蟹中心に選択した。フィリッピン人を妻に持つノルウエーの青年と意気投合し杯を傾けながら交歓しとても愉快な一晩であった。
朝トゥルクの港へ上陸して、荷物が出てくるのを待っていると、一人のフィンランドの老人がボトルペットを加工したメガホンを口にあてがい、縦長の台形に切った薄い鉄板を胡弓のように膝に支えて、これに弓を擦り哀愁に満ちたメロディーを奏でては歌を口ずさんでいた。やはりフィンランド人にはアジア系の血が流れているなと実感した。
トゥルク城は一三世紀にアウラ川の河口に建てられた砦が起源で丸形で素朴な味わいのある城である。トゥルクの街は一八一二年までフィンランドの首都であった。
続いてロシア正教教会の前の広場の朝市を見学した。ベルゲンで見た魚市よりも数倍規模が大きい。ここはトゥルク市民の胃袋を賄っている市場の観がある。美味しそうなのでこけ桃二個、紫色のすももらしきもの五個と姫林檎二個を買った。秤り売りしてくれるから観光客には楽しい限りだ。最初買ったこけ桃は二個で一マルカであったから、サービスしてくれたのかもしれない。全部で10マルカほどを払った。1マルカは20円だから200円程の買い物をしたことになる。
ガイドから聞いたフィンランドの国情について記しておくと、 トゥルクでは信者の98%がルーテル派である。フインランド全体としても信者の過半がルーテル派である。もともと1155年にこの地へカソリックが伝わったが千五百年代にルーテル派の教会に変わった。ここの大聖堂はルーテル派の大本山である。
フィンランドの面積は33万八千平方キロメートル。人口五百万人。森林面積60%で八万一千の島がある。トウルクの人口は168000人でフィンランドで五番目の都市である。フィンランド語とスェーデン語が公用語になっていて、民族的にはウラル、アルタイ語系に属しアジア系のフン族が祖先である。
消費税は22%である。失業者には一日118マルカが支給される。フィンランドでは日露戦争で日本が勝ったことを喜んで旅順(ポルツア)という地名に変更したところさえある。そして日本の北方四島の返還交渉に多大の関心を寄せている。
フィンランドで世界一のものは、森林資源に関係のあるパルプや紙の大型加工機、砕氷船等の特殊造船、羽毛製品がある。
フィンランドの国土は毎年数ミリずつ隆起している。そして山のない国で湖が世界一多い国である。直径二百メートル、面積五百平方メートル以上の基準で数えると十八万七千八百八十五もの数になる。
デザイン感覚に優れ北欧デザインの70%がフィンランド製である。またアイスホッケーが強く、長距離走が得意である。パーボヌルミは三回のオリンピックに出場し金メダル九個銀メダル三個を獲得している。また槍投げも得意で昭和27年に開催されたオリンピック競技場の塔は槍投げの選手が出した記録を記念して73メートルの高さに作られているし、ヌルミのブロンズ像が会場の入口に建てられている。
シベリュウス公園にはパイプの造形とシベリュウスの顔の彫刻が飾られていた。
大聖堂は

ルーテル派の教会で147年前に建てられたものであるが、ロシア統治時代の時の皇帝アレキサンダ12世がフィンランドを自治領として認めた時、この教会と大学を建ててフィンランドに贈ったものである。
北欧四ケ国を周遊して気のついたたことを纏めれば、デンマーク、ノルウェー、スェーデン,フィンランドの国旗はいずれも十字架が真ん中にデザインされていて、色だけが違う極めて類似性の高いものであるということである。そしてノルド語と呼ばれる北方ゲルマン人が往古に使用していた言語のバリエーションにすぎない自国語を話す兄弟同志の国でありいずれの国も面積の割りには人口が少なく高福祉を実現している高負担の国々であるということである。
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