| 2004年07月07日(水) |
【中国の内陸部は目下普請中・・・河西回廊�Α� |
平成16年7月6日(火) 朝8時に安西の瓜州賓館を出発して嘉峪関へ向かった。安西市の官庁や会社は丁度始業時間にあたり、職員や社員達が道路に出て整列し朝の体操をしていた。その体操は太極拳の要素をとりいれたような動きである。また市民達はそれぞれに太極拳をしていた。中には扇子をもって大見得を切る人もいて通りすがりにみていても楽しいものである。バスはひたすら嘉峪関へ向けて長駆する。 途中風力発電用の柱が林立し先端で羽が回転している所を目撃することもできた。経済発展が急速に進む中国では深刻な電力不足を抱えており、それを補完するためこのような風力発電にも取り組んでいるであろう。電力事情といえば、ホテルやレストランに入っても照明が暗く、ホテルの廊下等は消灯しており、足元がよく見えないということもしばしばであったし、トイレも薄暗くしており、不用不急の電力は節電しようという官民あげての取り組みを知ることもできた。

風力発電のプロペラ 
嘉峪関の入り口
正午過ぎにやっと嘉峪関市内へ到着した。都市計画が進んでいて道路も広く新しいビルが建ち並びここでもクレーンがそちこちに建ち並び今まさに普請中の観を呈していた。 嘉峪関は明の長城の西端に当たり、高さ11mの城壁によって囲まれており、「天下の雄閣」として国防の要地であった。北馬鬃山、南祁連山脈の麓まで長城によって河西回廊をふさいでいた。 城郭内には燕が沢山飛んでいたし、「撃石燕鳴」と称する石が置いてあって石に穿たれている穴に別の石を打ちつけると燕の鳴き声のような音がした。 構内の広さは33,500m2に及び城郭は内城、瓮城、羅城、外城、城壕からなっており、高さ13mの三層の城楼は嘉峪関のシンボルとなっている。
嘉峪関の門

嘉峪関の建物、後方が三層の城楼
嘉峪関の城郭内

嘉峪関より南へ伸びる長い城壁
続いて嘉峪関から東20kmの沙漠の中にある魏晋壁画墓の見学に行った。広大な沙漠の中に1,600もの魏晋時代の墓の埋まっている箇所がある。これらの墓には魏晋時代、五胡十六国時代の壁画や彩色画が埋もれている。そのうち第6号窟を見学した。この窟は深さ9.8mであって、1972年に鉄鋼工場が下水道を掘っている最中に偶然発見したものである。 墓の中は前室、中室、後室と三つに分かれていて、前室前には力士が描かれている。 前室には牛を殺す場面や料理をする姿、駱駝等が描かれている。中室にはシシカバブや羊料理、酒を飲む姿、桑を摘む姿が描かれている。後室は夫婦の柩を安置したところである。撮影禁止のため内部の絵は絵葉書から転写することにする。

こんもりした小山の下に墓がある。煙突 様のものは換気のためのもの
下の短冊型二枚は魏晋墓壁画


魏晋壁画墓地を後にして沙漠の中を走りやがてオアシス都市酒泉へ到着した。酒泉公園に先ず立ち寄った。夕方5時半になろうというのに日はまだ高い。 この公園は目下工事中であったが、地名発祥の源となった泉を見学した後池の周辺で時間を潰した。ここで有名なのは霍去病が匈奴征伐に戦功を挙げ、漢の武帝から賜った褒美の酒が全兵士に行き渡るようにと泉に注いだ故事である。酒が注がれると泉からは酒が滾々と湧き出て泉の水が美酒に変わったというのである。その泉は現存していまなお清水が湧き出ていた。どこの名泉にもあるようにここでも泉の中にはコインが泉源めがけて多数投げ込まれていた。商売上手の中国人であるから多分「酒泉」と銘うった地酒があるかとガイドに聞いたり、酒屋で探したがそれはないということで意外に思った。もし日本人であれば本家争いをする程に沢山の似たような銘柄の地酒が土産物屋の店頭には氾濫しているだろうというのに・・・

酒泉公園の泉
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