| 2004年07月06日(火) |
【中国の内陸部は目下普請中・・・河西回廊�ァ� |
平成16年7月5日(月) 朝9時に敦煌賓館を出発して沙漠の中をひた走った。羊や山羊が放牧されているのを眺めたり、祁連(きれん)山脈を横に見ながら沙漠のマッサージに身を委ねていた。道路に平行して寿命3000年と言われるポプラ並木がけなげにも続いているのでその生命力の強さに感動を覚えて眺めていた。途中、道路が通行止めになっている箇所があり、舗装されてない旧道を迂回した。今まで気がつかなかったが、旧道に入ると道路の傍らに側溝が掘られており沙漠の中を雪解け水が奔流のように流れていた。側溝はコンクリートで固められた巾1m程のささやかなものであり、本線を通っているとその存在に気がつかなかったであろう。そしてこの側溝に水が流れているから枯れもせずポプラ並木が続いているのだと了解した。と同時に沙漠の中にこの側溝と道路を付設した人間の弛まざる営為のことに思いを馳せていた。 
沙漠の山羊飼 
手前はラクダ草、山は祁連山脈
幹線道路から眺めたポプラ並木

迂回した旧道側を流れる雪解け水
楡林窟の入り口から見た窟全景

楡林窟の洞と手摺り
昼食を安西市内のレストランで摂ってから楡林窟へむけて走った。やがて楡林ダムと楡林川を横に見たと思ったら楡林窟へ到着していた。 楡林窟は敦煌の東南約170kmのところにある石窟群で莫高窟と異なり、西洋人による収奪を受けていない。海抜1660m、長さ650m、巾約100mの楡林河が大地を浸食して形作る雄大な渓谷の中にある。 ここでも窟内は写真撮影が禁止されているので現地で購入した「安西楡林窟」というパンフレットに搭載されている写真から転載することとし、訪問した順序に従って画像を示す。 ▼2窟 西夏時代

西壁北側 水月観音 
西壁南側 水月観音 これらの観音像は顔面と光背の部分の顔料が変色して黒っぽくなっている。
▼3窟 西夏時代

西壁南側 普賢菩薩

西壁北側 唐僧取経図

西壁北側 文殊菩薩 北側の水月観音では画像には表示しきれないので上の図に別に示すように、川の対岸に玄奘三蔵取経図を表しており、玄奘は袈裟を纏い、観音に向かって拝んでいる姿が描かれている。その後には孫悟空と白馬も控えている。 ▼3窟 西夏時代

東壁南側 五十一面千手観音
▼4窟 元時代 
北壁東側 釈迦多宝並座説法図
南壁西側 説法図 45窟 中唐時代
北壁 弥勒経変

北壁 弥勒経変中嫁娶

北壁 弥勒経変中耕獲

南壁 観無量寿仏経変

西壁北側 文殊菩薩及び侍従 25窟 ▼19窟 五代時代

窟通路北壁 涼国夫人供養像 窟通路南壁 曹元忠供養像
▼6窟 唐時代 一番大きな唐代の大仏が石壁を彫ってその上に粘土を塗って作られた。晋の時代に金箔を塗った。大仏の下部は川の洪水で浸水したため壁画が消失した。天井や壁には千仏が描かれている。画像は示せない。
▼17窟 初唐時代

赴会菩薩 この洞窟は唐時代に造られ。五代、宋代、西夏、清時代に改修されたが図示してある五体の法会行き菩薩は宋代に描かれたものである。この菩薩は華やかな服装で顔が広く体も大きく表情が穏やかである。呉道子の画風が再現されている。 この窟には1907年、スタインの通訳の名前が落書きされていた。
▼15窟 中唐時代 
前室頂南端 笛吹飛天
この洞窟は宋、西夏、元、清時代に再建されたが、前室の天井の南端に描かれた笛吹飛天は中唐期の原作である。唐時代の傑作である。尚この窟には迦葉、阿難の像もある。
▼16窟 五代時代 この窟は曹氏一族によって造られ、壁には家族が描かれてい る。

前室西壁北側 供養天女

通路南壁 曹議金供養像
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