| 2004年07月05日(月) |
【中国の内陸部は目下普請中・・・河西回廊�ぁ� |
▼57窟 初唐時代
南壁中央 説法図
南中央東側 観音菩薩
北壁中央 説法図
左から 勢至菩薩、迦葉、阿弥陀仏、阿難、観世音菩薩

北壁中央「説法図」右側 勢至菩薩
▼158窟 中唐時代

西壁壇上 涅槃仏

北壁中 涅槃変 各国王子の哀悼

西壁龕頭 瓔珞を持つ飛天

西壁龕頭 笛を吹く飛天
▼莫高窟について 莫高窟は敦煌の街から東南約25kmにあり、東は三危山から西は鳴砂山の間の崖に営まれている。BC366年に楽僔という僧がこの崖下に立つと向かいの三危山が金色に輝き、何千もの仏の姿が光の中に見えたという。そこで楽僔はここを聖地とし、崖に石窟を彫り始めたのである。これが莫高窟の起源である。
莫高窟の多数の芸術品に酔った後、敦煌市内の沙州市場を見学した。 リコウ杏という果物は梅と桃を一緒にしたような感じの果物であるが、食べるととても美味しいので、市場で三元分買った。洗いもしないでそのままかじった。これが影響したのか翌日便が緩んで悩まされた。海外では生野菜とか果物には要注意であることを思いしらされた。

市場の野菜売り

鳴砂山

月牙泉

月牙泉の畔の寺院
夕食後、午後7時から鳴砂山と月牙泉の見学に出かけた。7時だというのに太陽はまだ傾きかけたばかりで日本のこの時節の感覚では午後3時か4時頃のような気がする。 駱駝の背中で揺られながら鳴砂山の麓まで行った。砂丘は砂滑りをしている若い人達で賑わっていた。 風が吹くと砂が雷のようにゴロゴロという音を出すので鳴砂山と名付けられたという。長い年月をかけて周辺から吹き寄せて留まった砂が東西40km、南北20kmの巨大な砂山を作っている。太陽の当たる面と陰になる面とが幾何学的な明暗をくっきりと対比して見せている。駱駝を下りた場所から塔の見える方向へ進むと、三日月の形をした月牙泉に至る。月牙泉は東西200m、巾50mあり深さは平均5mである。沙漠の真ん中にある池であるが枯れることはないという。地下に水脈のあるオアシスになっているのである。 月牙泉の畔にはお寺が建っていて堂内の一室では鳴砂山をテーマにした写真展が開かれていた。吹き寄せる砂が寺の屋根瓦に堆積していた。
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