| 2004年07月04日(日) |
【中国の内陸部は目下普請中・・・河西回廊��】 |
平成16年7月4日(日) 今回の旅行のハイライトとも言うべき莫高窟の見学である。説明には昨夜講義を受けた楊麗英女史があたって下さったのでその流暢な日本語とともに説明も判りやすかったと感謝している。 日曜日のせいか観光客が多い。人混みのなかを入り口の方へ歩いて行くと先ず飛天の像が目につく。これは敦煌市のシンボルともなっている像である。 更に歩を進めると莫高窟の門がある。莫高窟の門を潜ると土色の回廊が見えてくる。回廊は概ね二層になっていて壁には洞が穿たれているのが目に入る。やがて8層からなる莫高窟では最大の建造物である96窟が見えてくる。これは莫高窟を紹介する書籍やパンフレツトには必ずでてくる有名な朱塗りの建物である。中には高さ35.5mの大弥勒大仏が自然の山を利用して造仏され鎮座している。窟内は撮影禁止である。
莫高窟の入り口にある飛天の像

莫高窟の入り口の門
断崖に手摺りのつけられた窟群

96窟の8層の楼

莫高窟の全景
以下に見学した窟毎に【敦煌石窟の珍品】という現地で求めたパンフレットに収録されている画像を示しながら見学した順序に従って記述していくこととする。
▼148窟 盛唐時代に作られた15mの大きさの涅槃仏が横たわっているが、その後方に涅槃経変が長さ23m、巾6mにわたって描かれている。
ここには東壁南側の観無量寿経変の画像を示すことにする。
この絵は敦煌石窟で最大の経変絵であり、西方浄土世界を中心に、その両側にそれぞれ未生怨と十六観が描かれている。無量寿仏は真ん中に置かれ、蓮華座に跏趺坐を組み説法し観音菩薩と大勢至菩薩等の教徒がそれぞれ左右に付き添って立っている。池の台の中央部に置かれた二人の舞伎が踊り両側で楽隊が伴奏している。台の下の池では波が揺れ動き、化生童子が蓮華の中で遊んでいる。この絵の上部には宮殿、あずまや、楼閣が描かれている。この絵は構図が壮大で極めて珍しい当時の宮廷建築の研究資料となっている。

画集の折り目の部分が邪魔をして絵の両端がスキャンできなかったので未生怨と十六観の絵は残念ながらこの絵には表現できていない。
▼130窟

盛唐時代に遠近法で作られた高さ26mの大仏。宋時代に再建された。この大仏は莫高窟の二大仏の一尊であり、第二大仏と誉められている。半趺坐を組む弥勒菩薩である。この仏像は万物を包容する気概、雄大な気勢を示ししめやかな中にも威厳をたたえている。口許の上塗りが剥落しているのが残念である。
通路の南壁に描かれた都督夫人太原王氏夫人供養像。
この窟の造営を担当したのが太原王氏であったと推定できる。今流に言えばスポンサー夫人ということであろうが、家族と使用人を引き連れて仏に参拝する情景が色彩鮮やかに描かれている。人物像が豊満で生き生きしており、清新明快な画像であり、敦煌石窟に二つとない珍しい画像である。
▼249窟
阿修羅 図中の阿修羅は裸体で四つの目と四本の手を備えていて、しかも背高であり両足で大海に立っている。両手で月と太陽を掲げ持ち、残りの両手には龍が巻きついて阿修羅を護衛している。後方には弥勒菩薩の住む須弥山が描かれ、両脇には風神と雷神を配している。また最上段には西域風の天宮が描かれ最下段には漢風の建物が描かれている。この絵には示されていないが、この窟の壁面には白虎、青龍、朱雀、玄武の四神も描かれていた。

子連れの猪が森の中を餌探ししている絵 ▼257窟 北魏時代
西域様式の弥勒菩薩

飛天 飛翔の姿はそれぞれ異なり、形は無類の美しさを表現している
九色鹿本生の中 溺人獲救 溺れた男が助けて貰った九色との約束を破ったため死んでしまうという因果応報の物語を表している。

九色鹿本生の中 鹿と国王
▼428窟 北周時代
東壁北側 シッダルタ太子本生
釈迦の前世の本生譚「捨身飼虎」の物語が描かれている。

南壁 飛天と菩薩
上部には四人の半裸飛天が描かれ下部には四人の供養菩薩が描かれている。 四人の手の構えがそれぞれに異なり、ペルシャ風のずぼんをはいている。 ▼427窟 北周時代

弟子阿難

弟子迦葉
▼328窟 初唐時代
仏壇の座像群
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上図の中央の釈迦像
この日午後から45窟、57窟、158窟を楊女史の説明で特別見学をした。
▼45窟 盛唐時代
敦煌石窟の盛唐時代の最高傑作とされている塑像 左 迦葉、中央 菩薩、右 天王
商人が盗賊に遭遇した図 当時のシルクロードの治安状態を表現している。
観無量寿経変
真ん中の阿弥陀仏は蓮華座趺座を組み、説法している。下部の台の両側に置かれた楽隊が演奏し、二人の舞姫がひらひら踊り、太平で隆盛な西方極楽浄土の光景を表している。
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