加藤のメモ的日記
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2015年12月03日(木) 橋下徹のサヨナラ政治史

前代未聞の泥仕合で分裂    

維新の党の分裂劇が、まさに””泥仕合の様相を呈してきた。10月24日に除籍された大阪系の国会議員らが臨時党大会を強行開催。新代表に選出された馬場伸幸氏は党の「解散届」を総務相に提出することを表明した。これに対し松野頼久・維新の党代表らの執行部は「解散届」が出された場合は刑事告訴も辞さない構え。一方、大阪系を率いる橋下徹大阪市長も「本日成立した維新の党の新執行部は松野氏を有印私文書偽造、同行使罪で告訴することを決定した」とツィート。

「大阪系議員は橋本市が設立する新党『おおさか」維新の会』に参加する見通しです。政党交付金を巡っても揉め続けており、橋本氏は松野執行部を『子ネズミ』、『ダメ集団』とコキおろし続けています」」(政治部記者)だが、「維新の党」が「この国のかたち」を変えると宣言して結党されたのはわずか1年前。仲間を募っては喧嘩別れを繰り返す橋本氏の政治史に新たなページが刻まれた。

そもそも橋本氏の政治家人生のスタートが2008年の府知事選の出馬を問われ「2万%ない」というウソから始まったのは周知の通り。「この発言を巡ってできた自民党大阪府連との溝はいまだに埋まっていません。府知事時代も橋本氏は当初蜜月関係にあった当時平松大阪市長と水道政策などを巡り決裂。橋本氏は府知事を任期途中で辞任してダブル選挙に持ち込み、平松氏と市長選で対決するという奇策まで使い、潰しにかかりました」(府政担当記者)
この時も橋本氏は「市長選で平松陣営から町内会に現金100万円が領収書抜きで配られている」と発言、平松氏サイドから訴訟を起こされるという騒動に発展した。

1年前の分党騒ぎも記憶に新しい。日本維新の会は2012年に石原慎太郎率いる太陽の党と合流し、橋本・石原の二頭体制で躍進してきた。ところが昨年浮上した結いの党との合流話を巡って決裂、石原氏から「私たちの政治信条と全く相容れない」と批判された。それでも橋本氏は合流を強行、分党後に維新の党を発足させたのだ。「そして、今回の罵りあいです。気に入らないと因縁をつけて追い出す。その下世話な手法に橋本氏のことを”平成の泥仕合製造機”と揶揄する声も出始めています」(政治ジャーナリスト)政治家・橋本氏の歩みを振り返れば、「さよならだけが人生だ」であった。


『週刊文春』11.5


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