加藤のメモ的日記
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2015年07月07日(火) ロバート・キャパへの追想

戦場を渡り歩き、哀しみを写し続けた「旅するカメラマン」の残り香を追う紀行文

ロバート・キャパというカメラマンが第一次インドシナ戦争の取材中、地雷の爆発に巻き込まれて死んでから半世紀以上が経つ。だが、彼が撮った写真は依然として人気が高く、2013年に横浜美術館で行なわれた写真展には56.000人以上の入場者があったという。

キャパの評伝を翻訳し、彼の出世作となった「崩れ落ちる兵士」に疑問を抱いていた沢木耕太郎は、「旅するカメラマン」であったキャパの足跡を追う旅に出る。訪れた土地、泊まったホテル、見た風景の”今”を写すためでもある。キャパが激しい一生の中で捉えた一瞬の現場に立ち、彼の人生を追走し追想する。

1913年、キャパはハンガリーのブダペストでユダヤ人の両親の下に生まれた。ベルリンでカメラマンの修行中、ナチス化するドイツからウィーンに逃亡しその後パリに住まう。そこで後の写真家集団「マグナム」となる仲間たちと知り合った。キャパの人生を方向付けた恋人、ゲルダ・タローとであったのもそんな日々の中だった。「ロバート・キャパ」の名で写真を発表し始めた頃、スペイン戦争の取材中に「崩れ落ちる兵士」を撮り、彼の名は一躍有名になった。

第二次大戦のノルマンディー上陸作戦やパリ解放、日本滞在中に依頼を受けて向かったインドシナ戦争まで、沢木はキャパの見たものを想像し、紡いだ物語を読み解こうとする。奇跡のように残った場所あり、長い年月がすべてを消し去った場所あり、それでも彼の残した匂いを探す旅は続く。旅の始まりはキャパが死ぬ直前まで滞在していた日本。線路の脇に佇む少年の写真に、沢木は同じ年頃であった自分の姿を見る。その場にいた少年をモデルに沢木が撮った一枚は、時空を超えてピタリと合わさった。

戦場を舞台にしたキャパの写真には哀しみが色濃く漂う。翻って沢木の写真はのどかである。同じ場所を写しても、そこには瓦礫も遺体もない。ライプツィヒのホテルで撮られたアメリカ兵士の遺体の写真と同じ部屋が、60年以上経った今でも残っていた。落書きであれた部屋で沢木はある想いに耽っていく。旅の最後は導かれるようにたどり着いたニューヨークのキャパの墓。そこにも大きな驚きが待っていた。

「崩れ落ちる兵士」の謎を追った『キャパの十字架』を発表後、沢木の仮説を裏付ける新たな事実も明らかにされた。本書は沢木のキャパへの旅の一つの句点である。


『週刊現代』6.20


加藤  |MAIL