加藤のメモ的日記
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小売業として発の売り上げ高1兆円に。創業者・中内功(いさお)と、ダイエーの栄枯盛衰
ダイエーは戦後日本を代表する企業だ。日本全国の駅前を同社のチェーンストアが占拠した。一時期はスーパーマーケットの代名詞だった。創業者の中内功は大阪府生まれ。父は小さな薬局を営んでいる。1957年9月、大阪の千林駅前に<主婦の店・大栄薬局店>をオープンした。いわゆる1号店だ。店名は祖父の「栄」から取った。「大いに栄える」「大阪で栄える」の意味とも。
その名前通り、大阪と関西圏を拠点として発展・拡大を遂げていく。時代は高度経済成長の真っ盛り。ダイエーの企業姿勢は単純明快だ。「よい品をどんどん安く」低価格の商品を山積みしにして売りまくった。スローガンの「価格破壊」は城山三郎のモデル小説の題名にまでなった。大安売り商法で果てしなく肥大化していくダイエーの原動力とは何か?
佐野真一『カリスマ 中内功とダイエーの戦後』では、それを創業者の戦争体験に求める。中内は太平洋戦争に出征、「フィリピン戦線での人肉を食うか食われるかの飢餓体験」を生き残ったという。「戦場から飢えと怒りと、人間の底知れぬ不条理を背負って復員した」と。その爆発的エネルギーは、敗戦後の飢えから脱して「上を向いて歩こう」生活の向上を目指す一般市民=消費者のマインドを見事にわしづかみにしたのだろう。
1980年2月16日、ダイエーは小売業で日本初の売り上げ高1兆円に一時あたかも80年代の開幕を告げる高らかなファンファーレのような快挙だった。1980年代は消費社会の高度な発展と大衆の欲望を露呈させる。しかし、それがバブルとなって弾けると・・・。時代の逆風がダイエーに襲いかかった。一転、赤字企業に転落。なりふり構わぬ拡大路線が災いして負の連鎖を生み、沈みゆく巨艦のごとき様相に。
時代に乗って上昇したダイエーは、時代に逆襲されるように衰退する。2005年9月19日、さながら戦後60年の終戦の日を見届けるようにしt、中内功、死す。享年83.2013年イオンが筆頭株主となる。昨年末、ダイエーはついに上場を廃止した。2015年1月1日、イオンの完全子会社に。敗戦の焼け跡から立ち上がった中内ダイエーの物語は、奇しくも戦後70年の目前に終焉した。
サウタージ
『週刊現代』2.28
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