加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will
| 2014年05月30日(金) |
サウダージ 1989年 |
あの日を旅する 1989年 4月11日〜4月27日
松下幸之助、死去 創業者亡き後の松下電器
1989年は終焉の年だった。1月に天皇崩御、昭和が終わった。2月に手塚治、6月には美空ひばりと戦後昭和を代表する各界の偉人が亡くなっている。4月27日は松下幸之助、死去。享年94.ほぼ一世紀を生きた我が国の経済を代表する偉人の生涯とは、何を意味したのだろう。
1894年(明治27年)、和歌山県の村に三男として生まれた。父は米相場に失敗し、下駄屋を営むなど商才なく、幸之助は尋常小学校を中退して、9歳で丁稚奉公に出る。火鉢屋から自転車店へ、路面電車に感動して”電気”に目覚める。16歳で大阪電燈(現・関西電力)に入社、社員時代に電球ソケットの改良版を考案した。1918年、28歳で松下電気器具製作所を創業。大阪の自宅で家族と友人の5人で立ち上げた小さな製作所が、やがて戦後日本を代表する大会社へと発展していく。松下幸之助は立志伝中の人物だ。貧しい境遇から努力とアイデアで、日本一の大金持ちになった。
松下といえば、ナショナルだ。1927年、商標使用開始。大正から昭和へ、日中戦争に突入して太平洋戦争勃発。我が国のナショナルな軍需産業を支えた松下電器は、敗戦によりGHQから制限会社に指定され、松下幸之助は戦争協力者として公職追放された。PHP研究所を設立し、peaceh(平和)とappiness(幸福)。彼の発明したソケットのごとく、二股の目標を掲げる。社会復帰して高度成長に乗り、長者番付で10回の全国1位。5000億円もの資産を築いた。現役引退したのは1973年、わが国の高度成長が頓挫したオイルショックの年だ。
♪明る〜いナショ〜ナ〜ル……のかってのCMソングが奏するように、松下の家電製品を揃えることが一般家庭に明るさをもたらし、わが国=ナショナルの成長につながる―という時代がたしかにあったのだ。が、松下幸之助が亡くなった昭和の終わりは、バブルの最盛期でもある。空虚な明るさに呑み込まれるごとく、ニッポン国民は豊かさの価値を見失った。松下電器は今や存在しない。パナソニック(=すべての音)という無国籍的な名称の会社に変貌した。明るいナショナル(国家)は消えて、ネトウヨなる薄暗い排外主義者らが跳梁跋扈している。
『週刊現代』5.3
|