加藤のメモ的日記
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2014年05月01日(木) わき道をゆく

もはや戦後ではない、かも?

夕刊を開くと「武器輸出新三原則を閣議決定」という見出しが目に入った。政府が原則禁止していた武器輸出を事実上解禁するという。東京新聞は「日本の武器を世界に売り込み考えだが、憲法9条の『戦争の放棄』の理念は崩れ、戦後積み上げてきた平和主義の信頼感に基づく外交力を失うことになりかねない」と批判していた。そう。平和主義の崩壊といってもいい。でも、輸出解禁の狙いは単に国産武器を外国に売りつけることだけだろうか。引っかかりを感じたので、元航空幕僚長の田母神さんの本を取りだした。

安倍首相の真意を知るには田母神さんの本を読むのが一番だ。二人の考え方は、歴史認識から核武装に至るまで双子のように似ている。しかも田母神さんは首相の本音を明け透けに語ってくれる。まず昨夏発売の『安倍首相論』(ワニブックス刊)である。田母神さんによれば、自衛隊は防御に偏り、攻撃力が極端に低い。なぜなら自衛隊は専守防衛で、日本が攻撃されたら米国に反撃してもらうことになっているからだ。

米国に守ってもらっていれば、最終的には米国の言いなりになり「国策の自由が奪われた」国に住み続けなければならない。その米国の狙いは日本の弱体化だ。20年前、日本の国民一人当たり名目GDPは米国を抜いて世界一になろうとしていたのに、今ではずいぶん落ち込んでいる。これは米国の圧力に屈して「改革」「自由化」を進めた結果、終身雇用や年功序列の「日本式経営システム」が機能しなくなったからだ。

この状態から抜け出すには軍事的に自立するしかない。では、そのために何をしなければならないのか。そう問いかけた上で、彼はちょっと意外な結論を導き出す。「憲法改正?いや、違う。憲法改正ができればそれに越したことはないが、今すぐにでもできることがある。それは『武器輸出解禁』である」なぜかというと日本では、武器は自衛隊にしか売れない。逆に言うと、企業は自衛隊の発注なしに作れない。だから企業は武器開発に先行投資をしない。将来は自衛隊が買ってくれる保証がないからだ。

だが、と彼は言う。もし外国に武器が売れるなら先行投資ができ、もっと高性能の武器を大量生産できるようになる。「お下がり」のような米国製戦闘機を言い値で買わされることもなくなり、国産に換えられる。軍艦、ミサイルなども国産化すれば大きな公共事業になり、数多の企業を潤す。戦闘機の開発生産だけで6000社以上の会社の参画が見込まれ、早ければ10年後に自衛隊はほとんど国産装備の”軍”に生まれ変われるという。彼は『日本核武装計画』(祥伝社)にもこう書いている。

なにしろ戦闘機や護衛艦など主力兵器は原価がバカ高い。それを作ったら売れるぞとなったら、三菱重工や川崎重工、富士重工だけでなく、東芝やNECなどの電気・ITメーカー、機体や船体の素材や部品の製造技術を持つメーカーも色めき立つ。「各社は競って先行投資をし、同時に営業マンを海外出張させるだろう。もともと70年前にゼロファイター(零戦)で世界を驚嘆させた日本の技術力である。世界が驚くような凄いものを短期間でつくってみせるはずだ」

つまり、武器輸出解禁で自衛隊の装備は米国製から純国産化の方向に転換し、従来よりはるかに巨大ですそ野が広い軍需産業が日本に出現するというのだ。田母神さんによれば、もう一つ、武器輸出には大きな利点がある。輸出相手国への影響力の拡大だ。ある国が武器を買えば、部品の供給や技術支援に武器生産国の協力が必要になる。だから武器生産国は相手国の軍事能力・国策に影響力を行使できるようになる。現状だと日本は絶対に米国と戦争できない。米国の技術支援がないと戦闘機を飛ばせないからである。武器を売った米国は日本から万が一にも攻撃されず、しかも日本に対し絶対的優位に立てる。

「このように国産の武器を海外に売ることは自主防衛への道であると同時に、国は安全になり、外交交渉でも有利になり、おまけに儲かる。いいこと尽くめ」なのだと田母神さんは説いている。安倍政権の狙いもたぶん同じだろう。武器輸出で日本は再び軍事国家になり、将来的には米国の手を借りずとも国際的な「富と資源の分捕り合戦」(『安倍晋三論』)に自力で参加できるようになる。集団的自衛権の行使という免罪符さえあれば、いつでもどこでも戦争ができる国になる。

なんとも勇ましくおぞましい話である。彼らの眼中には先の戦争で死んだ人々の無念と、残された家族の悲しみは全くないらしい。あるのは、他国になめられてたまるか、といった夜朗自大な国家意識だ。この分だと核開発に踏み切る時期もそう遠くないだろう。田母神さんや安倍首相の言動を見るにつけ、私はハーメルンの笛吹き男の伝承を思い浮かべる。13世紀ドイツの街ハーメルンに現れた男が子供らを笛の音で誘い、何処かへと連れ去った事件である。

一説には、130人の子供が男について洞窟に入り、戻らなかったという話の起源は、子供らが戦争に駆り出された辛い記憶だという。同じような未来が子供たちも待っているのかもしれない。もう戦後ではなく戦前だ。これから動乱の時代が始まると思う。私が子供にしてやれるのは、今の平和を存分に楽しませてやることぐらいしかないのだろうか。わが身の非力さに歯噛みする思いだ。

魚住 昭


『週刊現代』4.26


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