加藤のメモ的日記
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2014年02月19日(水) 慰安婦問題の真実

旧日本軍の慰安婦に冠する、NHKの籾井会長の発言が国内外で問題になっている。1月25日の就任会見で、「慰安婦は戦争をしているどこの国にもあった」と発言した。橋下徹大阪市長らの主張と同じ内容で、”みんながやっていた”という責任逃れの論議だが、歴史の真実とも全く食い違う。改めてQ&Aで検証した。

Q どこの国でもあったのか?

A 戦時などで軍の周辺にいわゆる「売春婦」がいたことは他国でも見られることだ。しかし、日本軍の慰安婦や慰安所は、これと根本的に違う。アジア太平洋地域に侵略した日本軍は、直接・間接的に慰安婦を集め、慰安所を管理・運営し本人の意志に反し、強制的な状況で性行為を強いた。慰安婦は各地で集めたが、日本の植民地だった朝鮮半島が大きな比重を占めた。これは、自民党の宮沢内閣が日本軍の資料を調べ、慰安婦からの聞き取りもした上で発表した、河野洋平官房長官(当時)の談話(1993年8月)ですでに認めていることである。

慰安婦問題を調査研究してきた吉見・中央大学教授は次のように指摘する。「最大の問題は、軍がつくった性奴隷制度だということである。女性たちは居住、外出、性行為の拒否、廃業などの自由を奪われた。軍慰安婦は軍の施設として、軍の命令でつくったもので、慰安所規則も作り、管理、統制し、性病検査もやっていた。これは日本軍の公文書で確証されている。さらに吉見教授は「第二次大戦中のドイツ軍も、軍中央が公認・推進していたといわれる」と指摘する。その上で、第一次大戦で植民地をすべて放棄したドイツに比べ、朝鮮半島などの植民地の女性を戦地に連行したのは、日本だけだと強調する。

Q 慰安所はいつ頃、なぜつくられたのか?

A 慰安所が最初につくられたのは、1932年の上海事変の頃。1937年の日中全面戦争を契機に、占領するアジア太平洋地域に慰安所を拡大していった。当時、占領した日本軍による中国人女性への強姦が多発し、日本軍に対する怒りを高めた。このため積極的に施設をなすを可と認め、兵の性問題解決策に関し種々配慮し、その実現に着手する」(岡部直三郎上海派遣軍高級参謀の日記、1932年3月14日の項)とした。さらに、性病蔓延の防止、性的慰安の提供、、スパイ防止といった理由もある。いずれも日本軍の侵略戦争遂行に有利だからである。

戦争遂行に従って拡大

Q 慰安婦をして金を稼いだのではないか?慰安婦は稼いでいたという主張は?

A 慰安所利用規則には、兵士は料金を払うという規定があった。軍に委託された業者らは名目上、何割かを慰安婦に渡すことになっていたが、実態はさまざまな理由をつけて搾り取られていた。お金を受け取った少数の者も、多くが占領地で物資調達などに使用される通貨である軍票で支払われており、敗戦になると無価値になった」(吉見義昭、川田文子編『従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実』のだ。

実態は搾り取られていた

Q 日本軍の関与がわかる文書があるか?また、慰安婦、慰安所と日本軍の関係を示す文書はあるか?

A すでに公開されている文書でも軍の関与は明白である。『従軍慰安婦資料集』からいくつかを紹介する。1992年に吉見教授が発見した陸軍将兵務局へ医務課起案の「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」と題する文書によると、陸軍省は慰安婦について「募集などに当たりては派遣軍において統制すること、実施に当たりては関係方面の憲兵および警察当局との連携を密にすること、と指示している。

また、フィリピンのパナイ島イロイロ市にあった、「軍政監部ピサイヤ支部イロイロ出張所の文書「亜細亜会館、第一慰安所規定送付の件」では、事細かな管理規定が記されている。「慰安所の監督指導は軍政監部…管掌」「慰安婦散歩は毎日午前8時より午前10時まで…散歩区域は別表に依る」慰安婦は外出も含め、がんじがらめに縛られていた。安倍首相の「直接、強制連行をした文書はない」として慰安婦への強制性を否定する主張もある。しかし、強制連行指示の文書の有無にかかわらず、一連の文書や、慰安婦の証言からも、軍の強制は明白で、世界で性奴隷制度と批判されるのは当然である。


河野洋平官房長官談話 1993年8月4日発表

今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれにあたったが、その場合も甘言、強圧によるなど、本人たちの意志に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに荷担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

直、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理なども甘言、強圧によるなど、総じて本人たちの意志に反して行なわれた。(以下略)


慰安婦裁判記録から

日本での裁判や、国連の調査でも慰安婦の実態が明らかにされている。

■中国・海南島の陳金玉さんら8人が日本政府に対し、名誉回復と損害賠償を求めた裁判の東京高裁判決(2009年3月)

被害女性らは当時、14〜19歳の女性で…軍の力により威圧・脅迫して自己の性欲を満足させるために陵辱の限りを尽くした軍人らの加害行為は、極めて卑劣な行為であって、厳しい非難を受けるべきである。

■国連人権委員会に任命されたクマラスワミ特別報告者のの報告書(1996年1月)
朝鮮半島出身の慰安婦、チョン・オクスンさん(74)―「当時13歳だった私は畑で働く両親の昼食を用意するため、村の井戸に水くみに行きました。そこで日本人の守備兵の一人に襲われました。…恵山市の日本陸軍の守備隊に連れて行かれ…日本兵のため性奴隷として働かされました」


『週刊朝日』


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