加藤のメモ的日記
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失われた文明
世界中の王や神官や歴史学者の努力にもかかわらず、太陽と月の動きを日常生活と完璧に調和させる暦を作ることはできなかった。実際、19世紀になるまで古代文明研究者を本当に驚かせるような暦はほとんどなかった。ところが、19世紀に、中央アメリカのジャングルにある奇妙な遺跡についての報告が届き始める。
熱帯雨林のなかの神殿を覆う不思議な彫刻は、やがて古代の時計システムに関する従来の考えをひっくり返すことになった。19世紀末、アメリカ人の新聞記者ジョン・グッドマンよって、失われた文明が残した驚異的な暦システムの解明への本格的な一歩が踏み出された。
古代マヤの人々は、今のメキシコ南東部であるチアバス州とタバスコ州の一部、ユカタン半島、グアテマラ、ベリーズ、ホンジョラス エルサルバドル北西部あたりにすんでいた。この一帯全域が古代ギリシャにも匹敵するほどの文化の黄金時代を謳歌していたことが、今では広く知られている。西暦250年から900年にかけての古典期には。大規模な建造物が造られて都市が整備され、知的・芸術的にもめざましい発展が診られた。その一例が暦の完成である。
しかし900年頃、マヤ南部地域の多くの都市が突然放棄された。理由については今も議論が続いている。その後の後古典期(900〜1521年)になると、マヤ、トルテカ、アステカ、イツア=マヤといった中米の諸文明の人々は、この暦システムの全体ではなく一部分だけを使うようになっていた。1519年スペイン人が現れてアステカを征服し、1521年には古代マヤ人の子孫たちを支配下に納める。これによって、古くからの暦も衰退の一途辿ることになった。
『古代マヤの遺跡』ジェフ・ストレイ
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