加藤のメモ的日記
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イラク戦争、ユージンスミス、ピンチョンの冒険
3月30日、ブッシュジュニアは戦争を始め、その日のうちに小泉首相は「アメリカの武力行使を理解し、支持する」と表明した。人も知るごとく、イラク戦争は悲惨な結果に終わった。大量破壊兵器はなかったし、イラクの社会は崩壊し、10万人が亡くなり、混乱は10年経った今も続いている。ブッシュ・ジュニアは退任にあたって「大統領の職にあった中で、最大の痛恨事はイラクの情報の誤りだった」と言った。論理のすり替えはあるが、一応の反省と聞いておこう。それに対して小泉元首相は何も言っていない。
これを不満に思っていたところ、『検証 官邸のイラク戦争―元防衛官僚による批判と反省』という本が出た。筆者は当時、防衛庁防衛研究所所長として政策決定の中枢にいた人物である。これで多くのことがわかった。日本はイラク攻撃の大義に共鳴したわけではなく、ここは奉加帳に名を連ねるしかないと判断しただけだったのだ。だから小泉は不運ではあっても判断の誤りとは思っていない。反省の弁が出てくるはずがない。
開戦を前にして、日本の外交には日米同盟と国際協調という二つの原理があった。両者が一致していればいいが、国連は逸る(はやる)アメリカを支持しなかった。日本は国際協調を捨てて日米同盟を選んだ。戦争の本質についていえば、これは判断停止である。この点について柳沢の分析は誠実で徹底している。「大量破壊兵器の脅威から世界を救う道筋は戦争だけではないし、まして日米安保条約上の義務にない場所に、自衛隊を派遣してアメリカを助けることでもない。その単純な事実が忘れられたとき、安全保障の手段であるべき同盟は、それ自体が目的に転化する」という論は納得のいくものだ。
だから選択肢は日米同盟か国際協調かではなく「アメリカか日本か」でなければならなかった、と柳澤は言う。ここに言う日本とは「平和を国威よりも優先する価値観とし、戦争を否定することによって『国際社会において名誉ある地位を占め』ようとした日本である」しかし、日本は「戦後の平和国家としての自己認知を否定し、アメリカと軍事リスクを共有することによって国威を高め」ようとした。
この選択の結果として、薄氷を踏む思いの自衛隊派遣が実施され、やがてそれに見合う成果がないと明らかになるまでの日々の記録は興味深い。優秀な官僚はこのような思考回路を持っているのかと感心する場面が多い。法や常識と現実がかけ離れている時に、その間をどういう論理で繋ぐか。まして外交はさまざまな力が交錯するゲームだ。だからこそ後になっての検証は必須なのである。どの段階のどのカードが間違いだったのか、それを明らかにしなければならない。
あの戦争は、イラクの脅威を取り除くだけでなく「国際社会のルールを無視して、核開発を目指すイラク以外の国の思惑を放棄させるための戦争であり、日本が戦争を支持した理由もそこにあった」と柳澤は言う。だが、「イランと北朝鮮は、核開発の野望を捨てないどころか、イラク開戦以後今日に至るまで、その能力を高めている」。どこで間違えたのだろう。イラク戦争は失敗に終わり、それは日米同盟にも傷を残した。彼我の関係は変わった。尖閣諸島で日中が衝突してもアメリカは介入しない公算が大きい。我々はアメリカを相対化する視点を持つべき時期に来ている。
『週刊文春』6.13 池澤夏樹
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