加藤のメモ的日記
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| 2013年06月14日(金) |
日本に古代はあったか |
日本の奴隷制
ある時代が古代なのか中世なのかは、当該時代の生産様式によって決められる。労働にいそしむ人々のありようから、判断されるべきである。そう考える歴史家たちもいる。いわゆるマルクス主義史学の歴史家である。古代の社会は、奴隷制によって支えられていた。中世では、かわって農奴が主要な生産者になっていく。マルクス主義史学でいうところの封建制である。この学派は、中世を農奴制=封建制の時代として、とらえていた。古代から中世へという移行は、奴隷制から農奴制へという移り変わりの中に読み取れる。マルクス主義史学は、歴史の発展をそういうものとして語ってきた。社会の根底をなす生産者こそが、歴史を左右するというわけだ。
周知のように、古代ギリシアの都市国家は多くの奴隷をかかえていた。ローマ帝国の農業生産も奴隷たちによって支えられている。ローマの富豪は大勢奴隷を使って、大農園を営んでいたのである。よくいわれるほどに、奴隷労働の比重が大きかったのかどうかは疑問だが。
いずれにせよ、中世化の進んだヨーロッパでは、彼らの存在が後景へしりぞきだす。かわって、ある程度の自立性を持つ農奴がうかびあがってきた。マルクス主義史学は、そんな趨勢から例の見取り図をひねり出しいている。奴隷から農奴へという移行は、ローマ帝国解体史の中から掘り起こされたのである。だが、奈良時代や平安時代に、ギリシアやローマと同じ規模の奴隷がいたとは思えない。日本にも「奴婢」がいいたことは間違いないだろう。いくつかの、例えば班田制がらみの資料が、その存在を示している。
しかし、彼らの人口比はごくわずかである。どう大きく見積もっても、一割は超えまい。さらに、彼らは一種の家内奴隷として、主に仕えていた。農業には「奴婢」以外の人民も大勢携わっている。「奴婢」の働きが、同時代の基本的な生産を支えていたと考えることは、不可能である。律令に定める班田農民は、特定の奴隷主を持っていない。また、家族生活も営んでいた。有力者にその生産物をピンハネされることはあったろう。だが、それでもある程度の自立性は保っている。そして、数は「奴婢」よりもずっと多い。
彼らが農奴と呼ぶにふさわしい存在であったかどうかは不明である。しかし、奴隷であったとは思いにくい。彼らを奴隷だと決めつけ、奈良時代を奴隷制、つまり古代だとみなすのは無茶だと思う。班田農民がうかびあがってくるのは、律令制の時期である。そして、一般にはこの時期が古代の完成期だとされている。しかし、そんな時期においてさえ奴隷制はなりたっていない。古代的な時代には、なっていなかった。まして、律令制の前史やその解体期が古代であったとは、到底思えない。
『日本に古代はあったか』
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