加藤のメモ的日記
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2013年06月13日(木) 情報戦と現代史

日本国憲法へのもう一つの道

天皇制存廃をめぐる連合国内の暗闘 

実際に日本と戦争をしていたのは、太平洋地域のアメリカを除けば中国大陸で、15年間も宣戦布告のない長い戦争が続いていた。1944年から45年にかけて、中国大陸で日本の軍部に反対して中国側で戦っている日本人がいた。野坂参三という当時の日本共産党の亡命指導者で、延安の毛沢東の庇護を受け、日本人捕虜を抗日兵士にする工作を進めていた。その野坂が、国民党の蒋介石と共産党の毛沢東に手紙を書き、戦後に天皇および天皇制をどうするかを相談していた。延安を訪れた米軍調査団ディキシー・ミッションには昭和天皇の退位論を語り、戦後日本への帰国時には、ソ連共産党の了解・支持を得ていた。天皇の政治的役割と反宗教的機能を区別し、天皇制については戦後の国民投票で決めようという案である。

中国側の天皇制についての意見は、蒋介石と毛沢東の間で分かれていた。蒋介石は「天皇制こそが中国民衆を苦しめている戦争の元凶であるから、天皇は最高の戦犯であり、天皇制を廃止すべきだ」と考えた。ところが毛沢東の方は、「天皇をどうするかは日本の民衆が決める問題である。今の日本人は戦争に反対できなかったくらいだから、天皇制をなくすことはできないだろうがそれでも構わない」という寛大な返事を野坂に出す。1945年5月、敗戦の三カ月前のことである。

このように、今日本に天皇制が残されているのは、アメリカ、ソ連、中国等々の連合国の思惑があったからである。この点で日本国憲法は、民主主義の重要な一部が制限されているともいえる。

日本国憲法以前の日本国内では、天皇制を批判する論議はタブーだった。わずかに非合法の日本共産党が、「27年テーゼ」や「32年テーゼ」で「君主制打倒」を公然と掲げたが、これも日本人共産主義者の内部から出た考えではなく、コミュンテルン=世界共産党の本部モスクワからの指令だった。「天皇制」という言葉自体、1931年の日本共産党「政治テーゼ草案」以後のもので、戦後にようやく解禁され広がったものだった。天皇制と決別する民主主義の議論は、ほとんどなかったのである。

この意味では、もしも日本国憲法の「押し付け」が問題になりうるとすれば、真っ先に取り上げられるべきは第一条のはずである。しかし、いわゆる改憲派は、そこをいまだにタブーにしている。「元首にせよ」という復古主義的議論さえある。日本国憲法制定から60数年たって、ようやく日本人は、民主主義のなかで天皇制をどうするかを考える状況になっている。

象徴天皇制をどう見るか

キングではなくエンペラーのいる世界最大の君主国日本

私は、今すぐ天皇制を廃止せよというつもりはない。しかし、天皇制のない民主義を私がイマジンすること、考えてみることは、21世紀の当然の議題だと思う。

21世紀初頭の国連加盟国は192カ国、ワールドカップやオリンピックに参加する国・地域は、およそ200である。その中で「君主制を保持しているのは、日本を含めて27ないし28カ国である。(バチカン市国を数えるかどうかで分かれる)。世界の圧倒的な国々は、君主制ではない。君主制の国は、ブルネイのような小国に多い。ベルギー、オランダ、スェーデンで人口6.000万人、日本は人口1億2.800万人で世界最大の君主国である。

しかも天皇という君主は、グローバルに見るとキングではなくエンペラーである。いまや世界最大の百科事典となったインターネット上のオープンソース辞書英語版ウィキペディアにはMonarchy、キング、エンペラーなどの項目がある。そこには世界の君主制は20世紀に少数派になり世界20数カ国だとあるが、大部分はキングかクィーンの国でより伝統と権威を強調するエンペラーを名乗るのは日本だけとある。

クィーンを持たないエンペラー制度であるからこそ、女帝・女系天皇問題が生じる。世界第二の経済大国日本は、世界最大の人口を持つ君主制であると共に、ドイツのカイザーや満州国皇帝、エチオピア皇帝、イランのシャーが消えた後、世界で唯一エンペラーを残す国、まさに「ラスト・エンペラー」なのである。

戦後民主主義=天皇制民主主義の残された課題

これは戦後民主主義と呼ばれるものが、民主主義としてはなお様々な問題を抱えている点と関連する。「ポリアーキー」への発展途上の問題群である。

戦後民主主義は、確かに制度的には、憲法第一条の天皇条項を除いて議会制民主主義、議院内閣制、男女平等普通選挙など、一般的な民主義システムを採用している。第9条の戦争放棄、戦力放棄はその後いくつかの国の憲法にも採用された。第24条の家族生活における両性の平等は、アメリカの憲法にもなかった。第25条の生存権は、ワイマール憲法にはあったものの、世界の憲法の中でも先駆的な条項だった。制度的に見れば、優れて民主主義的な憲法である。しかし、この憲法を支え実行する、デモクラタイゼーションの主体としての国民の側に問題はなかったか。4つだけ論点を挙げておこう。

第一は、広島、長崎で原爆を落とされて敗戦したという被害者意識である。開戦責任・侵略責任を曖昧にし、戦争の悲惨や民衆的被害から出発したことによって、見えなくなった問題がある。5年足らずの日米戦争は、15年間の日中戦争、36年にわたる朝鮮植民地化と重なっていた。敗戦は、侵略戦争の帰結であった。しかしその「加害者」としての側面は、少なくとも戦後初期の局面では、ほとんど顧みられなかった。日本の平和運動も、広島、長崎の被爆体験から出発しながら、社会主義国の核兵器は容認し、「原子力の平和利用」は問題にしないなど、不徹底なものだった。

第二に、沖縄の切り捨てがある。唯一の地上戦の戦場となった沖縄では、10数万人の民間犠牲者を出した。しかも、日本軍によって殺されたり、自決を強要されたケースも多い。サンフランシスコ講和条約によって1952年には日本は独立したといっても、その後10数年間、沖縄は米軍の直接統治下にあった。戦後民主主義は、沖縄を切り捨てて、天皇を象徴として奉じる日本人だけでまとまった民主主義という面を、払うことができない。

第三に、戦後日本は高度経済成長を遂げ、世界第二の経済大国になった。その過程で、民主主義に組み込まれた平和主義は、あらゆる戦争に反対し平和を麿もうという意識から、経済成長で豊かになった自分たちの生活を守るためにという、生活保守主義的な意識に変容した。経済成長の利益を守るために、他国から干渉されないで、「ウチ」の中だけでみんなで豊かになろうという方向に流れていった。

そのため第四に、戦争に反対することの意味が日本が戦争に巻き込まれない、天皇制というカーテンで仕切られた国土を守るという「一国平和主義」の意識に限定されがちだった。それは、天皇制があったからというわけではない。しかし、世界から日本を隔離する天皇制という仕切りが、日本の民主主義の歪みに、ある役割を果たしたことは否めない。また、世界の民衆が地球的な規模での民主主義を目指す場合に、日本の天皇制が桎梏ないし障害になる可能性もある。そのような意味で、天皇民主主義は、21世紀日本の民衆的選択の課題として残されているのである。


『情報戦と現代史』 加藤哲郎


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