加藤のメモ的日記
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2013年05月29日(水) 「靖国」と日本の戦争

靖国問題

毎年春秋の靖国神社例大祭の当日になると、テレビは「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の人達が集団で靖国神社の玉砂利を歩む模様を放映しまし。8月15日の終戦記念日も同様です。時には総理大臣が公式参拝し、外国とくに中国と韓国の政府関係者等がそれに対して強い抗議を公にしてきました。東南アジアのジャーナリズムも批判的に報道し、それぞれの地域で民衆の反発を伝えるのが恒例になっています。小泉純一郎元首相が在任中に靖国神社に公式参拝した時には、その歴史認識が問われ、中国・韓国の政府首脳との公式交流ができない事態にまでなりました。首相や政治家たちの靖国集団参拝の時には、参拝に反対する人たちが集まって垂れ幕などを示し、さらに参拝を後押しする集団がそれに罵声を浴びせるなど、騒然とした状態になるのが常例となっています。

一体なぜ靖国神社が国内外の争点になるのでしょうか。先回りしてその結論をいえば、靖国神社はたいへん政治的性格、また排外的民族主義の色彩が強烈な神社だということです。靖国神社は1879年(明治12)に明治天皇の勅命で創建され、幕末・維新以来の国事殉難者と対外戦争の戦死・戦病死者を祭った神社で、東京都千代田区の九段に位置します。祭神は現在246万6000余柱とされていますが、アジア太平洋戦争の敗戦後も、戦没が確認されるに従って合祀されたため、漸増していきました。

戦時中までは陸・海軍省管轄の別格官幣社でしたが、戦後は単立の宗教法人になりました。境内は約36000坪を超え、日本一といわれる大きな鳥居も有名です。また靖国神社には付属の施設として遊就館(ゆうしゅうかん)が設けられ、一種の軍事博物館として、祭神の関わった戦乱の解説がなされています。例大祭や合祀のための臨時大祭には大勢の参拝者がつめかけましたが、近年になって、戦没者の戦友たちの死亡や高齢化、また遺族たちの同様な事情によって、参拝者の減退が予想されてきましたが、小泉純一郎首相(当時)の参拝があった2006年の終戦記念日には、神社側の発表で25万人の記録的数字に達したといいます。

靖国神社の例大祭は、東京の市民たちによって古くから招魂祭とよばれ、広い境内では大相撲、能楽その他の見世物興行や飲食店党の露店や屋台で、多い時には10万人を超える人たちで賑わい、現在に至ります。戦時はともかく、平時にあっては靖国神社の例大祭は年中行事であり、季節の風物詩でもありました。しかし他の神社に見られないのは、昔は天皇の「親拝」でした。天皇家の祖先をまつる伊勢神宮は別格ですが、天皇が他の神社へお参りすることはなく、せいぜい勅使を参向させるのが原則だったのです。また陸海軍の部隊が必ず参列するという点で、普通の神社のお祭りとは明らかに違う特色がありました。

1853年の黒船来航以来の国事殉難者や内乱と対外戦争の戦死、戦病死者を祀る別格官弊社です。他の別格官弊社と著しく違う性格の一つは、対外戦争によって時とともに合祀者がどんどん増えていったという点です。戦死者が遺族や苦難を共にした戦友たちによって慰霊され追悼されるのは自然なことです。しかし天皇の勅命によってできた靖国神社がそうした人たちを神としてまつれば、あたらめて死者の功績を表彰することになり、一つの政治的性格を持ってしまうことになってしまいます。

もともと靖国神社の前身だった招魂社(1869年創建)は、明治維新の動乱で死んだ同志たちをまつるために勝者がつくった神社であり、敗者をおとしめるという政治的性格の強い神社でした。その政治的性格は明治維新ででき上がった天皇を中心とする日本国の行為をすべて正しく、その国のために戦って死んだ人をまつるというところに現れているといえます。もちろん、靖国神社は悲運に死んだ敗者たちを「怨霊」として祀っているわけではありません。創建された時から現在まで、靖国神社は天皇のために死んだ人=英霊をほめたたえ、顕彰するという意味を持って続いてきたことが明らかです。

1974年に自民党が衆議院で靖国神社国営化を目指した靖国神社法案を単独可決しましたが、参議院で廃案となりました。 1985年には中曽根康弘首相が「戦後政治の総決算」をとなえ、どこの国にも国のために命を亡くした人に国民が感謝をささげる墓所があり「さもなくして、誰が国に命を奉げるか」と発言し、同年8月15日に戦後初めて首相として靖国神社に公式参拝しました。それに対して中国・韓国、シンガポール・香港などで強い反対と批判が続出したため中曽根首相は10月の靖国神社例大祭への参拝を見送らざるをえなくなりました。

当時の中曽根首相ら「靖国派」の狙いとアジア諸国民のそれに対する警戒がまともにさらけ出されたといえます。「誰が国のために命をささげるか」という発言は、これからも誰かが「国のために命をささげる」ことを期待し、そのために靖国神社に参拝することを宣言したように思われるからです。またそれは二度と戦争をしないことを宣言した日本国憲法第9条の精神を裏切るものでした。かって日本軍によって占領され侵略された近い記憶を持つアジア各地の人々が改めて怒りを表し、また現代日本の対外政策の危険性に思い及んだのは当然でしょう。

小泉純一郎元首相、安倍晋三前首相の異常なまでの靖国神社への固執は中曽根元首相の志を受け継いだものといえますし、内外の反響のほとんど同様だったといってもいいでしょう。憲法9条改悪を急ぎ過ぎ、2007年参議院選挙で大敗北した安倍内閣の姿勢は、福田内閣の登場でいったん沈静化したように見えます。しかし福田首相自身が日本会議国会議員懇談会、憲法調査推進議員連盟、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーであり、閣僚や自民党の主要役員にもいわゆるタカ派が顔を並べています。靖国神社公式参拝がいつ再び強行されるか、予断を許しません。

現在の靖国問題には、大きくいえば日本国憲法第20条が定める信教の自由、国の宗教活動の禁止をうたう「政教分離」と、かっての対外侵略戦争についての歴史認識に関係するといえます。それらの問題点を掘り下げていくと、少し回りくどくなりますが、やはり靖国神社の歴史から考えなければならなくなります。

A級戦犯が合祀されたにもかかわらず、小泉元首相は靖国参拝を公約としてかかげ、公式参拝をくり返して中国・韓国をはじめ東南アジア諸国から猛烈な非難を浴び、最後には私的参拝に後退せざるをえませんでした。次の安倍晋三前首相も激しい右翼的言動にもかかわらず、靖国公式参拝は遠慮しました。これ以上のアジア諸国との関係悪化を避けようという配慮のせいだったことは明らかです。ただ注意したいのは、激しい非難は必ずしも関係諸国の政府からだけ起こったのではなく、それらの国の広範な人民たちからも起こったようです。それをしばしば反日ナショナリズムと評されますが、日本の多年にわたる大陸侵略と中国軍民だけで2400万人といわれる死者をつくりだした戦争の記憶が、まだアジアでは消え去っていない事実を物語るものといわねばなりません。

日本は台湾・朝鮮を侵略・支配し、抵抗した人達を弾圧・殺害しました。その弾圧にあたった日本軍の戦死者は靖国神社に祀られています。アジア太平洋戦争期になって台湾・朝鮮の人達を徴用等で戦場に送り、戦死者を靖国神社に祀りました。靖国の「英霊」はそれらの民族の信仰や誇りと衝突します。このままでは、日本の侵略と戦争の犠牲という二重の事実を肯定的に認めたことになるのです。台湾や朝鮮の人たちが合祀に強く反対し、その取り消しを求めるのは当然でしょう。


『靖国と日本の戦争』岩井忠熊 立命館大学名誉教授 2008 8月


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