加藤のメモ的日記
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| 2013年05月13日(月) |
ペルソナ 三島由紀夫伝 |
加古川の公会堂で行なわれた徴兵検査は、学習院の青年にとって間違いなく惨めな体験だったはずだ。徴兵検査は体重や身長、視力を測り、健康状態をチェックするだけではない。腕力を確かめた。走ったり跳んだりだけでなく、重量挙げである。船江不二男は僕を、かって加古川市公会堂だった場所へと案内してくれた。正面にステンドグラスが嵌められたキリスト教会のような小奇麗な四階建てで、昭和10年の建造物である。いまは市立図書館として衣替えされたが、建物の外観はほとんど変わりない。
建造物の脇に、幹が斜めに傾いた一本松がある。枝振りは昔のままだそうだ。この松の木の下に並んだ若者たちは順番に力比べをする。米俵を持ち上げるのである。米俵といっても入っているのは砂、重さは十貫(約40キロ)だった。若者たちは上着を脱いで「えいやッ」と掛け声をあげ、一気に米俵を頭上へ揚げた。船江もなんとか持ち上げた。学習院の青年の番が来た。上着を脱いだ。肋骨が浮き出た貧弱な胸、日光に体を晒したことがないのだろう。不健康な白さ。黒い胸毛が不釣り合いな印象を与えた。
米俵の前に立った青年に、百人の若者の無遠慮な視線が集中した。青年は細い腕で米俵を抱えようとした。米俵はびくともしない。顔は力みで紅潮している。しばらく米俵との格闘がつづいた。のち三島由紀夫は、この体験を『仮面の告白』で「農村青年たちが軽々と10回も持ち上げる米俵を、私は胸までも持ち上げられずに、検査官の失笑を買ったにもかかわらず、結果は第二乙種合格で…」と表現している。その日の光景を、船江不二男ははっきり覚えている。彼は「失笑」ではなく、本気で心配したので動向をずっと凝視していた。「胸までなんてものではなく、米俵はびくともしなかった。地面に接着剤がついているように、1センチも動かなかった」と断言する。
昭和20年2月3日、三島由紀夫は勤労動員先の群馬県太田市の軍需工場から渋谷区の自宅へ帰宅した。2,3泊の予定で久しぶりの一家団欒になるはずだった。翌晩、急に玄関のベルが鳴った。赤紙、召集令状の電報だった。電文には、本拠地で入隊せよ、と書かれていた。2月6日、風邪で高熱を出して寝ていた母親は、どてらを引きずり乱れ髪のまま涙顔で玄関で見送った。息子は後ろ髪を引かれる思いで東京駅へ向かった。徴兵検査に第二種乙種合格して以来、9カ月ぶりの本籍地への旅には父親が付き添っている。東京を発ったとき微熱だったのに、志方町へ着くとはげしい熱で立っていることもできないぐらいだった。徴兵検査で泊った長者の家で手厚い看護を受けたが、熱はいっこうに下がらなかった。いよいよ入隊検査の朝、解熱剤が少し効き目をあらわしたかのようでまずまずの体調と思われた。連隊は、志方町のある印南郡より北の加西郡にあった。一面、枯れたススキに覆われ荒涼とした高台の鉄条網のなかに粗末な木造の建物があった。
『仮面の告白』を引く。「入隊検査で獣のように丸裸にされてうろうろしているうちに、私は何度もくしゃみをした。青二才の軍医が私の気管支のゼイゼイいう音をラッセルとまちがえ、あまつさえこの誤診が私の出たらめの病状報告で確認されたので、血沈がはからされた。風邪の抗熱が高い血沈を示した。私は肺浸潤の名で即日帰郷を命ぜられた。営門をあとにすると私は駈け出した。荒涼とした冬の坂が村の方へ降りていた」
軍医が「この中で肺の既往症がある者は手を挙げろ」と言うと三島はサッと手を挙げた。帰郷して学習院時代の親友の三谷信(父親は侍従長)にそう正直に語っている。一緒にいた父親は、この意外な結末、信じられないけれど密かに期待していた出来事について、『倅・三島由紀夫』でまったくの素顔で告白している。
「門を一歩踏み出るや倅の手を取るようにして一目散に駈け出しました。早いこと早いこと、実によく駈けました。どのくらいかは今は覚えておりませんが相当の長距離でした。しかもその間絶えず振り向きながらです。これはいつ後から兵隊さんが追い駆けて来て『さっきのは間違いだった、取り消しだ、立派な合格お目出度う』とどなってくるかもしれないので、それが恐くて恐くて仕方がなかったのです。逃げ足の早さはテレビの脱獄囚にもひけをとらなかったと思います。やっと小川の土橋のところで二人は丸太に腰をかけて小休止をとりました。ハアハアする自分の息に気がつきました。(略)汽車に乗るとやや落ち着きを取り戻し、段々と喜びがこみあげてきてどうにもなりませんでした」
徴兵検査で自覚した貧弱な体力はのちのボディビルへつながるだろうし、入隊検査の即日帰郷という結果は死への渇望として首をもたげる。そのあたりの結論をいまは急がない。確実に言えることは、三島が祖父平岡定太郎の故郷を訪れたのが、生涯で徴兵検査と入隊検査の2回だけであったこと、多感な年頃で自己の出自を、つまり自分がどこから来たのかどんな血脈に連なっているのか、知ったことだ。
『ペルソナ 三島由紀夫伝』 猪瀬直樹
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