加藤のメモ的日記
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2013年05月09日(木) 死後体験

人は死を恐れる。これは論理ではなく直感である。論理的に、これはこうこうだから死が怖いのではない。無条件に怖いのである。これまた不思議なことだ。人はなぜ死を恐れるのだろうか?死後のことが未知だからか?それとも、そこに暗黒の暗闇が待っていると魂が感じているからか?この疑問は最初の問いの答えと密接な関係があると思われる。死後のことが明らかになれば、死の恐怖はなくなるのだろうか?

ここで、死後のことは現代科学で証明済みだ。死とともに自己の存在も終焉する。と主張する人もいるかもしれない。果たしてこれは正しい認識だろうか。現代科学は、宇宙のすべての現象を物質とエネルギーで説明する。この観点から見ると、確かに人間の精神活動も、結局は脳内などの肉体内の物理化現象に還元されるはずなので、肉体の死がもたらす「無」である。自己の存在は受精とともに開始し、死をもって終了する。

しかしここには一つの見落としがある。現代科学が扱ってきたのは物質やエネルギーだけであり、その範囲にとどまる限り科学はほぼすべての現象を説明することに成功した。しかし、ここで問題なのは人間の精神活動は、果たして物質やエネルギーの範囲内のものだろうか、ということだ。このことが明白に証明されない限り、肉体の死がもたらすものは無であると結論づけるわけにはいかない。

近年、脳の機能について探求が進んでいる。人間の種々の精神活動が脳のどの部位で起こるのか、いろいろ調べられてきた。ところが脳をいくら研究しても肝心な「意識の座」が、脳のどこに存在するのか特定できないという(立花隆『臨死体験』)。そこに全体を統括する、物質ではない何らかの実態を、想定する必要があるということではないだろうか。死後の有無についての長年の議論に終止符を打つには、死後について知る必要がある。果たして死後の有無を探る手段はあるのだろうか。宇宙の神秘を解明する望遠鏡に相当するものは、つまり死後を解明する画期的な手法はあるのだろうか。実はこれまでにいくつかの手段が試されてきている。

臨死体験

一つは臨死体験者の体験談から死後を推測することである。立花隆氏の『臨死体験』はいままでの数々の研究結果を総括しているが、結局のところ、臨死体験といえども脳内現象ではないのか?という疑念を払拭できないでいる。つまり、これで本当に死後のことが分かるのか、という根本的なところで足踏みを強いられているのだ。さらに、臨死体験が脳内現象でないとしても、臨死体験者の体験はせいぜい死後の世界の入り口までの体験であり、死後の世界の全容はこれではわからない。これは敵国の情勢を知るのに、国境沿いの地帯だけを調べているようなものだ。

また、本当に死んでしまった人と、生還した人で体験に本質的な違いがある可能性がある。次の例えで説明したい。あるところに花の咲き乱れる草原があって、そこにはライオンが潜んでいるという。何人もの人がそこに迷い込んでしまい、帰って来なかった。ただ、ごくわずかだけ帰ってきた人がいた。その一人は言う。「お花畑のように綺麗なところだった。太陽が明るく輝いてポカポカと暖かだった。ライオンなんていなかったし、あそこはとても素晴らしいところだ」帰って来なかった人は皆ライオンに食われてしまったのだか、私たちはその人たちの話を聞くことはできない。

退行睡眠

臨死体験以外にも、死後について解明するための、いくつかの手段が試みられている。例えば、退行催眠という方法がある。これは被験者を催眠状態に誘導した後、子供の時期、乳児期と時間を遡らせる。さらに母親の胎内にいたとき、生まれる前の時期と過去に戻り、その時の記憶をよみがえらせる。この方法を使うと前世や、さらにその前のいくつもの過去世を思い出すことが可能であると言われている。

この方法により、生と生の間の体験、つまり死後の体験について、驚くべき情報が得られてきている。例えばJ・L・ホイットン著『輪廻転生』にはいくつもの事例が紹介されている。ただ、退行催眠を行なえばだれでも過去世まで行かれるのかというと、そうではない。『前世療法』の著書ブライアン・ワイスによれば被験者の3ないし5%という極めて稀なケースであるという。

体外離脱

体外離脱能力者(意図的に体外離脱できると主張する人)が死後の世界を探求し、報告するというのも一つの手段である。体外離脱とはその人の実体が肉体を離れ、体から離れた場所の様子を見たり把握したりする現象をいう。幽体離脱とも呼ばれる、肉体とは独立して存在する自己の存在を知る体験である。私は1990年ごろ繁雑に体験した。抜け出た実体は、通常は現実世界内の別の場所に行くが、非物質界、とくに死後の世界へ行くことができると主張する人もいる。

たとえば、ロバート、モンローは1000回以上に及ぶ体外離脱体験で得た知見を、その三部作に著しているが、そこには死後の世界についての詳細が明らかにされている。ただ問題は、ここに語られていることがどこまで本当かどうか、証明不可能だという点である。あくまでも、モンローの個人的体験を綴ったものであるからだ。この問題は、退行催眠で得られる情報や臨死体験にも当てはまる。内容の政党制の証明は難しいか、不可能なのだ。ただこういった多くの報告に、特定の共通パターンが認められればそこに何らかの実体の存在を推測することは可能である。

死後の世界があるとして、モンロー研の手法でその世界を探索し、明らかにされる情報は科学的に見て説得力があるのだろうか。何らかの形で科学的に検証可能だろうか。私は答えはノーだと思う。従来の科学的な手法を用いて証明することは不可能だと思う。ただし、これはちょうど「夢」を見るのに似ているのだと思う。

もし世の中で、夢を見るのがあなた一人だったとしたら、あなたは夢を見たという体験を他の人に証明できるだろうか。客観的な事実として証明できるだろうか?おそらく不可能だろう。夢を見るという現象にるついて誰もその存在を疑わないのは、ほとんどの人が夢を見たことがあるからだ。科学的に証明されたからではない。同じように、死後の世界を見るという体験は、科学的に証明するのは不可能だろう。まして、その体験内容を証明するのは難しい。だた、多くの人がその体験を持ち、その体験を確信すれば、証明は不要となるだろう。また体験内容に共通要素が見いだされれば、そこに何らかの実在を確信することはできるだろう。



『死後体験』


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