加藤のメモ的日記
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…理由は眼につきる。それも弱い片目だけでなく、よい方の右眼にも病魔が襲った。初達成の翌年の2009年、突然ボールの右半分が真っ黒に見えた。つまりゴルフボールは、右半分しか見えていない。1番ティーでのドライバーは、ほとんどカラ振りであった。パニックに襲われた。もう二度とゴルフができないかと思った。失明も考えた。主治医の先生は、すぐに帰国しなさい、と言われた。オーストラリアから飛んで帰った。
先生は電話の問診だけで病名が解っていた。近年大きな問題になっている、黄班変性症という。加齢性が強いようだがボクの場合、長年の強度近視が原因だった。昔は大手術だったようだが、今や目に直接注射する療法が主力で、ボクも右目に2カ月間隔で1本づつ、計2本注射していただいて、又ものが見えるようになった。
翌2010年には、右目の白内障の手術をしていただいた。0.01しか見えなかった眼が、突然1.0から1.2にも見えるようになった。ところが左目は相変わらず0.01で、コンタクトレンズを入れている。その上、緑内障のため視野狭窄が生じて、見える部分と見えない部分ができている。このアンバランスは御し難いもので、事故を起こす前にと、運転免許を返納してしまったほどである。
左眼をもう少し見えるようにしてもらおうと、左瞼を持ち上げる手術をしていたたいたのは、2011年である。多少は良くなったが、「気のせい」程度であった。この年には、再びボールの右半分が黒く見えだして、カナダで注射を受けたら、すぐに治った。もともと大腸がんの治療に使われていたアヴァスティンという薬を、眼に注射するという手を考えたのは、アメリカの医師らしい。
思えば長い4年間だったが、ボクは眼は「現状維持」で良いと考えるようになった。眼がアバウトにしか見えないのだから、ゴルフもアバウトにしようと考えた。キャディーや同伴者に事情を話し、ボールの行方を追ってもらう。するとヘッドアップしなくなった。アプローチも、落としどころを限定するより、「大体でいから」リズムを大事に振るようにした。
とにかく、ゴルフを「生涯の友」と決め、富も名声も捨てて、56歳でセミリタイアを宣言した。あれからほぼ23年の歳月が流れたが、お陰さまで元気に人生をエンジョイしている。上昇志向一辺倒の考え方をやめ、後半生に主力を置く生き方を書いた拙書『巨泉 人生の選択』がベストセラーになったのは2000年、今から13年前のことだ。それが最近またアベノミクスなどといって、強欲な拝金主義を煽るような風潮は苦々しい。
『週刊現代』3.9 大橋巨泉 1934年東京墨田区
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