加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will
TVでハーバード白熱教室を見ていた時のことです。「この中で第一子は手を挙げて下さい」サンデル教授が質問すると、大講堂にいる数百人の学生のほとんどが挙手します。さもありなんと教授は見回し、すこぶる高い授業料のハーバード大に学ぶことができる学生たちの、第一子であるが故の教育上のアドバンテージ(優位性)を指摘したのでした。
子供がどんな教育を受けるかが、親の在り方に依るのは世界共通です。ウチの場合は辛い、私も弟も物心両面で等しい支えがありました。その上、私がとんでもないことを教育で望み、それを許してもらえたことは今も親に深く感謝しています。それは中学浪人でした。私は大阪府立天王寺高校の受験に失敗しました。100%大丈夫と自分も周囲も思っていただけに、そのショックは大きく、滑り止めの私立高校で3年も過ごすことに我慢がならなかったのです。
中学浪人など聞いたことのない時代です。経済的負担も大きいです。それを親は許してくれ、全面的に支援してくれたのです。私は当時スパルタの授業で有名だった入江塾の門を叩きました。入江塾というと今の日本では絶対にお目にかかれない、強烈な人物が塾頭を務めるその塾は、灘や鹿児島のラサールに毎年何十人も合格者を出すことで全国的に知られていました。月謝も破格です。入江氏と会うまで何時間も立って待たされました。ようやく面談が叶って入塾を許されると「お前は新2年生のクラスに入れ」と言われます。ついこの間まで中学1年生だった生徒のクラスです。「馬鹿にするな!」と内心思いました。こっちは本来なら高校生の身分なのです。
『ペーパー・チェイス』というアメリカ映画があります。ハーバード大学ロー・スクールでの強烈な競争の人間模様を描いた青春映画の逸品です。その中で主人公が老教授にコテンパンにやられ、ショックからトイレに駆け込んで吐くシーンがあります。人間は強烈な精神的ショックを受けると吐き気を催します。私は「新中学2年生」のクラスに入ってそのことを知ります。英語の授業について行けなかったのです。高校に入ってから習う分子構文や難解な単語をすらすら訳していく子供たちの群れの中で、私は吐き気を堪えていたのです。
それから私は憑かれたように一心不乱に勉強に没頭します。夏休み期間は兵庫県の山奥にある合宿所に入り睡眠4時間でやりました。親が負担した合宿費は四十万円でした。塾では体罰が当たり前です。塾生の丸刈り頭は拳骨で殴られ、強烈なビンタが塾頭から飛んできます。しかし、秋になり、ふと見上げた青い空を眺めているうちに私は我に返ってしまったのです。「僕は何をやってるんだろう?」
狐が落ちた後は塾が苦痛になりました。年が明けると塾を去り、自宅での独学に切り替えました。結果として私は希望した高校に合格します。そして高校時代はほとんど遊んで一橋大学法学部に入ることができました。大学受験に必要な英語・数学は習得し終えていたからです。入江塾はもう伝説としてしか残っていません。人間が10代半ばの時期、大量の知識を詰め込むことができるのは身を以ってわか分かりました。ただ、あれが本当の教育だったのか、今でも判然としません。
「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう」―アインシュタイン
『週刊現代』3.9
|