加藤のメモ的日記
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27代、518年間続いた
朝鮮王朝は王族を頂点に、「両班」ヤンバン(文官と武官)という地主貴族階級が支配者として君臨した。両班を補佐するのは下級官吏(カンリ)の「中人」だ。彼らに支配されたのは「良民」(常民)と呼ばれる農民や職人、商人でヒエラルキーの最下層には「賤民」がいた。賤民には奴隷の奴婢、旅芸人や獄卒、前科者、妓生(キセン)などが属す。四つの階級は固定され、出自が職業ばかりか人生を決定した。徹底した身分制度の根底には国教、国是となった儒教の教理がある。
還流ブームの一翼を担う歴史ドラマでは、好んでこの時代の宮廷、とりわけ女性が描かれる。宮中に仕える女人は「宮女」(クンニュ)その下に雑役を担当する下女の「房子」(パンジャ)がいる。宮女も高級女官の「尚宮」以下、厳しい身分制度が確立していた。
彼女たちは13歳くらいで見習い内人として入宮する。王の居室に侍って身辺の一切を仕切る「至密」をはじめ、裁縫仕事を受け持つ「針房」、食事を司る「生果房」などの職場に配属された。王城に風呂がないことから、王族の洗顔や入浴、排便の世話係「洗水間」もあった。宮女は”全員が王の女”と解釈されており、彼女らの周りで働く男性は生殖能力を失った宦官に限られていた。
見習い内人は約10年の修業期間を終えると、王へお披露目する「井礼」が行なわれ、ようやく成人扱いになる。ただ、尚宮の地位にたどり着くまでは、さらに15年の宮仕えが必要だ。宮女が王に同襟を許されれば、これは出世のチャンス。宮女は「承恩内人」と呼ばれる。懐妊、出産となれば側室となり、子宝に恵まれなくても「特別尚宮」として仕事を免除された。
朝鮮王朝歴代27人の王の妃は合計40人。王が召した側室は117人にのぼる。側室から生まれた子供が260人。もっとも多くの側室を抱えたのは、10代燕山君(在位1494〜1506)の15人だった。ちなみに、徳川11代将軍家斉はたった一人で40人の側室を侍らせ、55人もの子を産ませた。朝鮮王朝で宮女の数がピークだったのは、英祖(1724〜1776)時代で684人。対する大奥は約2000人もの女性が伺候していた。
妓生は社会的には最下層の賤民だったが、その存在や活躍の場は実に華やかだ。宗王国たる中国皇帝の使節を歓待する場を筆頭に、王族や両班の宴席で舞踊を披露し、お酌や歓談の相手を務めた。妓性は『妓生庁』という役所で管理され、”宮妓”として称された。抜群の容姿を誇るだけでなく、多芸のうえ学問や詩歌、絵画などの知識も豊かだった。それだけに”人間の言葉を話す美しい花”という意味の『解語花』という別名もある。
また、一婢の妓生はファッションリーダーでもあり、彼女たちの髪型や衣装、装飾品などが若い女性の憧れとなった。これは江戸・吉原の花魁と重なる部分が多い。王朝滅亡後、妓生は宮廷から花柳界へと活躍の場を移した。現在の妓生は、料亭遊びが舞台である。彼女たちは民族衣装のチマチョゴリを着て、マンツーマンで接客する。ちなみに料金は、料理とお座敷遊び、カラオケまでセットで2万〜3万というところ。
『週刊現代』
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