加藤のメモ的日記
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喜んでいるのは検察だけ 負担も責任も重すぎる 裁判員制度の見直しを急げ
2009年の秋、鳥取で発覚した連続不審死という怪事件をめぐって逮捕、起訴された上田美由紀被告(38)に先ごろ、鳥取地裁が死刑判決を言い渡した。2件の強盗殺人などに問われた上田被告の公判は裁判員裁判の対象となったが、鳴り物入りでスタートしてから3年以上経過した裁判員制度の問題点が、改めて浮かび上がったように思う。
場末のホステスの周辺で男たちが次々と不審な死を遂げた事件に興味を惹かれた私は、裁判員の選任から判決まで70日以上に及んだ裁判に東京から通い詰めた。この間に公判が開かれたのは計20日。選任から判決までの日数で見ると、同じ時期に世を騒がせた首都圏連続不審死事件の100日に次ぎ、公判日数でも同じく2番目の多さだった。
また、結審後に裁判員と裁判官が判決内容などについて話し合う評議は計11日も開かれ、これは首都圏事件を上回って過去最多だった。つまり6人の裁判員たちは、、公判や評議などを合わせると最低でも1カ月以上は拘束された計算になる。1か月以上も仕事を休めるのはかなり恵まれた境遇の人々である。安定した企業や団体の勤め人か家庭の主婦か、それでも勤務先や家族の相当な理解と支援が不可欠だろう。逆に私のようなフリーランスの物書きはもちろん、自営業者や中小企業の社員、あるいは派遣で働く人々などの参加は極めて難しい。今回何とか裁判員を務めあげた人々にしても、負担はあまりにも大きかったろう。
とはいえ、死刑に関わる重大事件であったことを鑑みると、20日の公判はいかにも短く、審理が尽くされたとは言い難い。2件の強盗殺人を上田被告は一貫して否認した。しかも直接的な証拠はなく、状況証拠を積み重ねた検察立証は砂上の楼閣に近い代物だった。公判を傍聴し続けた私も、判決に納得できぬ部分が数々残っている。
裁判員の負担と不十分な審理。相反する矛盾を少しでも解消するには、区分審理という方法も考えられた。鳥取事件の場合、被告は2件の強盗殺人と詐欺、窃盗などで起訴されている。このうち、裁判員裁判の対象にならない詐欺や窃盗は裁判官が審理し、2件の強盗殺人は2組の裁判員に分けて審理するのである。当然、裁判員となる人の数は増える。しかし、個々の裁判員の負担は減り、一つの事件に費やす審理時間にも多少の余裕ができる。
ところが検察側はこれを嫌う。特に直接証拠に乏しい事件では、全体の構図から有罪を印象付けようとするため、個々に審理を尽くせば検察側に不利となりかねない、ともいわれる。しかし、裁判員の負担を減らす努力は惜しむべきではない。さらに深刻な問題もある。死刑という刑罰を裁判員が下すという凄まじき責務と懊悩。鳥取事件で裁判員となった人々も、判決言い渡し後の会見で口々にこう明かした。「被告の人生を決める責任の重さに、評議後は泣きながら帰った」「覚悟はしていたが、こんなに辛いとは」「死刑の可能性のある裁判は、裁判員の対象外にするよう考えてほしい」
もっともだろう。死刑や裁判員精度そのものの是非はともかく、死刑を含む量刑判断にも参加させる裁判員裁判は、市民が司法をチェックするというよりむしろ、国家の先兵となって罰を下す色彩が濃い。死刑という判決を下した裁判員は、一生そのことを背負い続けなければならない。それでも現行精度の枠組みを維持するなら、量刑判断から裁判員を解放するなり、せめて死刑判決は裁判員の全員一致を原則とするなどの改善が必要だろう。
たとえば、一片でも疑念を抱くような裁判で死の判決に参画させられた上、判決後の厳しい守秘義務まで課せられるなら、市民の責務としては過酷すぎる。さらに言えば、死刑制度そのもの根本議論も求められる。裁判員法は施行3年後の見直しを謳っている。至急の対処が必須なのは間違いない。
『週刊現代』1.5
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