加藤のメモ的日記
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2012年11月29日(木) 前世を記憶するインドの人々

マンジュ・シャルマは質素な暮らしを営む、バラモン階級に属する家族の一員であり、ウックル・プラディーシュ州マトウゥラー地区のパサウリという寒村に、両親と二人の兄弟と共に住んでいた。両親はマンジュが生まれる目に、4人の娘を亡くしていた。マンジュは存命中の三児の第二子である。二才の頃マンジュは、自分は自分は(マトゥラー地区にある)チャウムハ村の者だと言い始めた。また、前世の父親と兄の名をあげた。本人によれば、父親は”パーン屋”(インド古来の嗜好品であるバーンを売る店)を開いていたという。そして、前世で死んだ日に起こった出来事を詳細に語ったのである。

その日、マンジュは学校に行った。父親は本人に授業料を渡した後、マトゥラーに出かけた。学校から帰ると、マンジュは井戸端へ向かった。そして、マハーデーブ像にかける水を汲もうとしていた時、バランスを失って井戸に落ち溺死したのである。前世と現世の間で過ごしたとおぼしき彼岸の世界については一言も言わなかった。チャウムハ村の自宅周辺については具体的な発言をいくつか行なったが、両親はそれにはあまり関心を払わなかった。むしろ子供の話であるとして、無視していたのである。

マンジュが自分の前世について話すようになってから、チャウムハ村で質屋をしているバブーラムと呼ばれる男性が、ある日、何かの用事でパサウリ村に来た。マンジュはッブー・ラムの自転車をつかみ、自分の叔父さんだと言った。この男性は当惑し、「知らないねえ。お嬢ちゃん、どこの子供さんなんだい」と言った。それに対してマンジュは、「おじさんはあたしのことを知らなくても、あたしは知ってるの。おじさんはあたしの”チャチャ”(父親の兄弟や友人)でしょ。私の父さんの名前は、ラダリーサランなんだよ」と答えた。それを聞いて驚いた男性が、「どうしてここに来たんだね」と尋ねたところ、マンジュは、マハーデーブ像にかける水を汲もうとしている時、井戸に落ちたと言った。

バブー・ラムはそれを聞いて当惑したマンジュの言っている家族を自分が知っており、その一家には、誤って井戸に転落した娘がいたからである。しかし、マンジュは何も言わなかった。マンジュはその男性に、前世の両親のところに連れて行ってほしいと懇願した。マンジュを宥めるためにバブー・ラムは「はいはい、連れて行ってあげましょうね。でも、今日はダメだよ」と言った。それから自分の村へ帰り、その家族に事の次第を話した。

その話を聞いた家族は、マンジュの村まで出かけた。最初の日は溺死した少女の母親が、次の日は兄が、三日目は父親が、パサウリ州まで出向いたのである。この家族の姿を見ると、マンジュは痛く涙を流した。前世の家族も本人と対面した時、涙を流している。そしていくつかの質問をした結果、この少女が、マハーデーブ像にかける水を汲み上げている時に井戸に落ちた娘のクリシュナに間違いないことを確信したのである。クリシュナは1965年3月6日に死亡し、享年は9歳であった。

クリシュナの両親は、他の者にも会わせたいので、娘をチャウムハ村に連れて行かせてほしいとマンジュの両親に懇願した。マンジュの両親は、その申し出を仕方なく了承したが、本人が不安に思ったりチャウムハ村で泊りたがらない時のことを考え、兄を同行させることを要求した。2,3日してマンジュは、兄とともにクリシュナの家を訪れた。マンジュは何の違和感もなく、同家に宿泊した。むしろ、その家族と一緒にいる方が幸せそうだったのである。チャウムハ村に向かう途中、マンジュはクリシュナの友人を見分けた。また、クリシュナの所持品であった足飾りのようないくつかの物品も見分けることができた。1,2日後、他人の家にいることでマンジュの兄が退屈を感じたため、2人はパサウリ村に送り返された。

1977年に私が訪れた時点でも、マンジュは依然としてクリシュナ家を訪問し続けた。チャウムハ村のクリシュナ一家と一緒にいる方を好み、クリシュナの家族が迎えに来て、自分の両親が許してくれさえすれば、いつでもクリシュナ家に泊まりに逝った。前世の家族は、パニアンというカーストに属していた。本建築の家を持っていたが、経済状態はよくなかった。社会経済階層は、中層の下であった。クリシュナの父親は、クリシュナの死後、定職に就かず、転職を繰り返していた。双方の家族を隔てる距離は5,6キロメートルであった。

面接中マンジュは、前世の出来事について語っている間、意識の変容が起こっている特徴を全く示さなかった。またそれまでにも、そのような兆候を示したことは、やはり全くなかったという。マンジュがESPを持っていることを裏付ける証拠に気づいた情報提供者は一人もいなかった。私との面接の中に、前世で死亡した時の様態を語っていたマンジュは、いくぶん真剣で悲しげな表情を示したことがあった。

両親によれば、マンジュは井戸に行くのを恐がり、自宅で水あひをしたがるという。私にわかる限りでは、マンジュの家族より低いカーストに属していた。(カーストによる差別は、都市部では排除されつつあるが、、農村部では現在でも根強く残っている)マンジュの両親は、クリシュナの死について知ってるという記憶がなかった。またマンジュの父親が道路を通ったり、買い物をしたりしたことを除けば、クリシュナの村とは何の関係もなかった。

1988年12月初旬に再び私は、マンジュと双方の家を訪ねた。1985年6月にマンジュは、中層階級に属するバラモンと結婚しており、婚家の家族とともに、ブリンダーバンに住んでいた。2歳と生後3週間になる健康な二人の娘に恵まれていたが、相変わらずクリシュナの家族と行き来しており、嫁ぎ先の家族もそれには反対しなかった。マンジュは正常な発達をとげ、現世に充分適応していた。前世の記憶についてマンジュが語ったところによると、死亡した時の状況を除けば、子供の頃に覚えていたことはほとんど忘れてしまったという。しかしながら、井戸に落ちたときの記憶は日々の生活の妨げにはならなかったし、もはや井戸端へ行くことにも水を汲み上げることにも恐怖心は感じないとのことであった。



『生まれ変わりの研究』


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