加藤のメモ的日記
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2012年11月16日(金) IPS詐欺

新聞社や通信社は、継続的に報じるべき大きな事案が発生すると、社内で表記の統一をはかることがある。厳密なこともあれば穏やかなこともあるが、限られた行数で本質を端的に伝えるためには必須の作業とされている。最近話題となった「例の事案」をめぐっては各紙、こんなふうに表記することが多くなった。

〈IPS細胞から作った心筋細胞を、患者に移植したと森口尚史氏が虚偽発表した問題〉(読売新聞)〈IPS細胞を使った世界初の臨床応用となる移植手術を実施したと、主張している森口氏〉(朝日新聞)だが、これは本質と隔たりがある。正確には、こう表記すべきだろう。〈IPS細胞による移植手術を実施したと主張する人物に、一部メディアが騙された問題〉もっと簡潔にはこうだ。〈IPS細胞の移植手術をめぐる一部メディアの誤報問題〉

はっきりいえば、これは「メディア問題」であり、それ以上でもそれ以下でもない。森口氏という、いかにもうさん臭げな人物が記者から激しく追及され、しどろもどろになりながら嘘が次々にバレて行く無様な姿。それを時には面白おかしく伝えてはいても、一部のメディアが彼に騙され、その大ウソを大々的に垂れ流すような醜態を演じなければ、この事案自体がそもそも現出していなかった。

いや、彼がウソさえつかなければこんなことにならなったじゃないか、と反論されるかもしれない。だが、世の中にはウソツキがいる。森口氏の場合、もはや病の域に入っているとすら思うが、個人にせよ、組織や団体にせよ、この世にはウソやゴマカシが溢れている。そのウソやゴマカシを見抜き、突破していくのがメディアの役割ではないか。その際に頼るものはただ一つ、取材のみ。どう考えても必要な取材が尽くされた気配がない点において、今回は相当に深刻なように思う。周知の通り、今回の騒動を引き起こしたのは10月11日付の読売新聞朝刊だった。この1面トップの”特ダネ”を真に受けた共同通信が追っかけ、配信記事を受けた全国の地方紙にデタラメ記事がデカデカと躍った。扱いの大小はあれ、いくつかの民放も類似の後追い報道を繰り広げている。

だが、ウソはすぐにバレた。ハーバード大学客員講師という肩書も、マサチューセッツ総合病院で行なったという手術も、東大医学部の「IPS細胞バンク研究室」なる組織も、すべては基本的な取材で判明する稚拙なウソばかりだった。しみじみと嘆息する。ネット全盛の今、ネット上には有象無象のジャーナリストもどきが跋扈しているが、新聞を筆頭とする旧メディアの財産はかろうじて維持されている取材網と正確な取材力のはずだろう。それが相当に劣化していることを示すような醜態には、嘆息という言葉しか浮かばない。

もう一つ、別の病根も垣間見える。私自身、メディア業界の片隅で生きるものとしての自戒を込めて言うのだが、この国のメディアは権力や権威に弱い。もっと平べったくいえば、強いものに弱く、弱い者に強い。面倒な相手にはかしこまり、水に落ちた犬は徹底的に叩く。ハーバード大。マサチューセッツ総合病院。東京大学。森口氏というウソツキが駆使したのは、いかにも権威の香り漂う舞台装置だった。典型的な詐欺師の手口だが、それに騙されたメディアの姿にはどこか、権力や権威にめっぽう弱い本質がちらついてはいないか。例えば警察や検察。大企業やスポンサー、大手芸能プロダクション。強者にすがり、おもねり、その言い分をハイハイと鵜呑みにして報じがちなメディアの実態。その片鱗が、バレてしまったのではないか。そんな匂いまで嗅ぎ取ってしまうのは、風邪が過ぎるだろうか。



『週刊現代』11.3


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