加藤のメモ的日記
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2012年04月17日(火) 季節の花や木を愛でながら(14)

私が数年前まで勤務していた病院に、N先生という外科の医者がいた。これは私がN先生からじかに聞いた話である。N先生の義父は消化器専門の内科医で、長年大学病院に勤務されていたそうであるが、40歳代で開業しいわゆる町医者として、地域の医療に貢献し、患者さんも多く、人気のあるドクターとして70歳代前半まで実に30年以上も現役の開業医を続けられていたという。

N先生の義父のY先生が72歳になったある日、上腹部に小さなしこりが触れるのに気付いた。即座に「これは胃癌である」と自己診断を下した。この時点ではY先生は体調も良く、食事も普段と同じように食べられていたそうであるが、「胃癌」であることを確認するために、Y先生は自分の後輩のS先生のもとでバリウムを飲み、胃のレントゲン写真をとってもらった。その結果、Y先生の胃は全体に硬化したスキルス胃癌であることが判明した。S先生やY先生の家族は、Y先生に手術を受けることを勧めたが、Y先生は癌の進行度を自分自身で、たとえ手術したとしても6カ月程度しか余命はないだろうと診断し、手術を拒否したという。

Y先生の偉いところはここからで、普通の人だと自分が癌と知ったら落ち込み、仕事など手につかなくなるものだが、その後も変わらず診療活動を続けられていたという。3ヶ月くらいたつと、体重は以前に比べて10キロ近く減ったというが、やはり外見的には今までと変わらずに診療活動を続けられていたという。しかし、5か月目になると、食事の通過が悪くなってきたのか、流動物しか食べられなくなり、胸水が貯留してきたせいか咳と呼吸困難を訴えるようになった。家族はどうぞ仕事を休むようにとY先生に懇願したが、Y先生はこれを聞き入れず、自分も点滴を受けながら仕事を続けた。

それから、2,3週間そういうY先生の苦闘が続いたが、ついにまったく食事が通過しなくなり、Y先生は初めて休診の札を医院の玄関にかかげた。この時にはさすがのY先生もふらふら状態で、家族はぜひ入院するようにと勧めたが、Y先生はこれも頑なに拒絶し、さらに点滴を受けることも拒否し、「これが天寿だ」と言い残して、自宅の寝間でそのわずか3日後に枯れるように息を引き取ったという。まるで即身成仏の様な最期だったらしい。

私は同じ医者として、Y先生の生きざまと死にざまは何とも見事で羨ましいと思うとともに、「医療とは何か?」という一つの教訓がまさにここにあると感ぜずにはいられない。


『羨ましい死にかた』


加藤  |MAIL