加藤のメモ的日記
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| 2012年04月11日(水) |
政治塾で世の中が変わるのか |
あちこちの山野では梅から桜に、花景色がかわっている。震災で花見を自粛という声が上がったが、花見というものの本来の意味は、いま生きていることを祝っての宴で、それは同時に亡くなった人へのレイクエムと感謝をこめて宴をするということでもある。 景気というものは、悪い、悪いと口にすると本当に悪くなる。これは人気と似ている。人の気がすべてをこしらえているだけで、実態はわかっていない。大恐慌なんてのが、そのいい例だ。ギリシャみたいに労働人口の3割近くが公務員になって国がカネを与えていれば、どんな国でもおかしくなる。 アテネは市民が皆政治家もどきになったとき、なにもかが崩れた。政治家とは国を平気でこわす職業なのである。 同じように役人が増えても国は傾く。昔の中国がそうである。役人が増え、好き勝手をすれば千年かけて築いたものは一夜で滅亡する。それが今のの日本の政治家も役人もわからない。当たり前だ。当人たちが自分の足元を変えようなどと微塵も思っていない。 議員の数を減らす。公務員の数を、給与を是正する。言うのは口だけでやりはしない。 政治家がこれほどバカで無能だとは知らなんだとマスコミが言い、いまは国民までがそう口にする風潮が蔓延している。 その政治家を選んだのは国民で、一番バカで無能なのは国民ということではないか。しかし、今の政治家は本当に、バカで無能なのだろうか。 ”商いの神様”と呼ばれた松下幸之助は、長い企業家生活の中で、一つの国が隆盛するも滅亡するも、政治家の質だとわかり政経塾なるものをこしらえた。今の内閣にも、そこの出身者がいるが、彼らが優秀とはとてもでないか思えない。松下幸之助は生活に役に立つものをいろいろ作ったが、唯一の失敗作は松下政経塾だろう。今の内閣にも、そこの出身者がいるが、彼らが優秀とはとてもではないが思えない。 大阪でも塾をこしらえたという。それが悪いとはいわないが、その方法しかないんだろうか。小泉チルドレンと呼ばれて集まった政治家の質の低さは何だったのか。 吉田松陰という人物が昔の長州藩にあらわれ、頭脳明晰、秀才で、彼のもとに”松下村塾”として若者が集まり、それが明治維新の原動力の一つになったと歴史家は言うが、彼の思想は明治維新には反映できるものではなかったし、はたして塾ひとつで何事かの改革はできるのか。さらに言えば、明治維新そのものがおかしかったのではないか。あの頃の長州出身者の政治家でまともなのがいたのか。 坂本竜馬が理想の人物のように、この頃、皆が言うが、それは事実なのか。一人の若者だぜ。さらに言えば、アメリカの大学から教授がやってきて、”これから正義の話をしよう”なんて言っとったが、あれだけ戦争を起こした国が持ち上げる“民主主義”とは”正義”とは何なのだ?民主主義は21世紀の柱となるべきイデオロギーなのか。資本主義と民主主義は成立するのか。 経済、企業にとって大切なのは他利を考えることではないのか。ならそれは資本論、マルクス主義との共通点があるのではないか。 ゴールドマンサックスの中枢にいた者が、この会社は自分たちの利益しか考えていない、と言って退職したが、この会社だけではなく、何一つ物を創造していない金融業者がなぜあんなに儲かり、若いエコノミストが世の中のことがわかったようになぜ私たち大人の男の前でわかったような口をきくのだ。 東北の人は可哀想だが、瓦礫がうちに来ては困る、は沖縄の人は可哀想だが基地が来ては困るとどこが違うのか。
『週刊現代』4.7
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