加藤のメモ的日記
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2012年03月30日(金) 戦争の真実

●『太平洋戦争・最後の真実』は太平洋戦争の最前線から生還した兵士で、今も存命の人たちの証言を徹底的に取材し、戦争の真実に迫るノンフィクションです。この三部作に挑んだきっかけは何だったのですか。

太平洋戦争で戦死した230万人のうち、200万人近くが大正生まれの若者でした。彼らは終戦時に19歳から33歳。大正時代に生を受けた男子は1348万人ですから、実に7人に1人が命を落としたことになります。国のために戦い、戦争の悲劇を背負わされた世代といえるでしょう。ところが、戦後のジャーナリズムの多くは、大正世代の苦しみに目を向けるより、戦争を一方的な立場から糾弾することに終始し、彼らを「アジアへの犯罪者」と断じてきた。その姿勢に疑問を抱き、客観的な事実をもっと伝えなければならない、と思っていました。
昨年は「大正100年」にあたると同時に、太平洋戦争の開戦70周年でもありました。その節目に合わせ、大正生まれの帰還兵に取材を重ねていったのです。個々の体験の集積こそが私たちに真実を語ってくれる、と考えたからです。その証言から見えてきたものを、「空・陸・海」ごとにまとめたのがこの三部作です。

●戦後ジャーナリズムが、過去の糾弾に終始しているのはなぜでしょうか?

それが楽だからですよ。政治家も外交当局もマスコミも、中国や韓国などの声を極端に恐れ、大正世代の多くが沈黙を守っているのをいいことに、日本を安易に悪者として描く風潮がまかり通るようになった。
日本軍が行なったとされる「虐殺」も、状況をつぶさに見ていくと、事実が異なっていたり、あるいは日本軍だけを一方的な加害者とすることに無理があったりします。もちろん戦争という異常な状況のもと、時に悲劇があったのは事実でしょう。ただ、前後の事情を除いてすべてを「アジアへの犯罪」と結論づけるのは歴史を歪める行為だと思います。
特攻についても虚像がありますね。特攻隊員は皆、自ら志願して戦艦に突っこんだ、という……。しかし、それは事実ではありません。実は戦後、多くの若者を死なせた上官が、自分たちだけ生き延びたことについて、言い訳が必要になりました。そこで彼らは「兵士たちが自ら率先して”志願”した」という偽りの記述を行なった。猪口力平、中島正という二人の書いた『神風特別攻撃隊の記録』などは、その典型です。

●絶望的な状況に耐え、闘い続けた兵士たちの姿は感動的です。何が彼らを支えたのでしょうか?

当時の若者が「軍国主義教育で洗脳されていた」というのも一面的過ぎます。特攻に「志願」して、出撃を待ちながら終戦を迎えた元兵士(90歳)は、「特攻に行きたかった者などいない」と言っています。「日本が追い詰められ、誰かが行かねばならなかった。親や幼い兄弟を行かせるわけにはいかず、自分が行って国と家族を守るしかなかった」と。玉砕した陸軍の兵士も同じ想いだったはずです。
私がお会いした帰還兵の方々は、みんな潔く毅然として、強い責任感と使命感を持っています。悲痛な思いで戦った世代を、歴史を歪めて犯罪者扱いするのはあまりに忍びない。
使命感に加えて日本軍の勇敢さを支えたのは、ルース・ベネディクトが『菊と刀』で指摘した日本の「恥」の文化だと私は思っています。大正世代は、明治生まれの親から徹底的に「恥」の観念を叩きこまれた。彼らにとって、突撃や特攻の命令から「自分だけが逃げるのは恥ずべき事」で絶対に出来なかったのです。

●勇敢な兵士とは対照的に、無謀な作戦を継続した上層部は何を考えていたのでしょうか。

上層部の愚劣さには怒りを覚えます。自分が万能だと思っている秀才エリートたちが、人の命を駒のように扱い、多くの若者が死んでいった。愚かなエリート官僚が国を存亡の危機に立たせるのは今も変わりません。
ただ、中には優れた指揮官もいたのが救いです。現場の中隊長クラスでは、ガダルカナル島で、暗闇の中でも目立つように白たすきをかけ、部下の先頭に立って突撃を繰り返した石橋哲治中隊長や、最高指揮官では、ルソン島の戦いで民間人の犠牲を何とか避けようとした山下泰文(ともゆき)司令官…。山下が残した遺言からは、人柄、識見の凄さが伝わってきます。

●戦場の描写が生々しく、目に浮かぶようでした。

陸軍の戦争は飢えや病との戦いでもありました。その体験が強烈で、皆さん、細部までありありと覚えていました。生のトカゲを食べ、戦友が生きたままハゲタカにつつかれ、傷口に湧いたウジ虫を食べて飢えを凌ぎ、「ウジに感謝している」と言った方もいる。ただ、「極限状態で兵隊同士の共食いがあった」という話には首をかしげます。ニューギニア戦線を生き延びた元兵士(92歳)は、「そもそも極限状態では固形物は喉を通らない。日本兵は骨と皮ばかりで食べるところはないし、敵兵の腹を裂き、内臓の汁をすすって生き延びたのが本当です」と証言してくれました。「土の中にも栄養分はある」と、赤土まで舐める状況だったそうです。

●「生きて帰れたのは運命としか考えられない」と、皆さんが語っています。

過酷な戦場で隣の兵士や周囲がバタバタ死ぬ中、生き延びたのはまさに奇跡です。印象的だったのは、多くの方が「話せてよかった」と感想を言ってくれたこと。真実を後世に残し、戦友の無念を伝えたい思いはそれほど強かったのでしょう。


『週刊現代』2.11


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