加藤のメモ的日記
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2012年01月14日(土) 戒名は必要か

いくら自分の希望した戒名があったとしても、いざ自分が死んでしまった後からでは希望通りにはいかない。戒名にはその戒名に応じた価格というものがあるからだ。戒名料の多寡に関係してくるのは「院号」と「位号」の部分だ。位号の価格は。一般的な相場なので地域によって違いがあるだろうが、『信士』『信女』が20万円〜30万円。『居士』『大姉』が30万〜50万円といわれている。『大居士』を選択すればさらに高額になる。

そして「院号」。これは「○○院」とつくだけで、なんと50万円以上。なかには100万円以上になる地域もあるらしい。ちなみに院号には『○○院殿』というのもあり、さらに値段は高騰することになる。そもそも「院号」とは、皇族が寺院の建立に布施行をしたとき、その徳をたたえて寺から贈られるものであったという。

それなのに現在、どの程度の人が「院号」を授かっているかというと、私が見つけた統計では、昭和40年代にはすでに50%以上の人が、そして60年代には60%以上が「院号」のついた戒名を授かっているという。平成の不景気でも少しは減ったかもしれないが、それでも半数以上は院号を授かっているだろう。確かに近所の霊園をぶらぶら歩いて墓碑銘に刻まれた戒名をみれば院号が多い。

これらの院号がすべて、寺院の建立に布施行をしたという本来の理由で授かったものならば、日本全国寺だらけになってしまう。しかし、この戒名料を払う払わないという決断が、どんな状況で行われるかを考えてほしい。身内が亡くなる哀しみのどん底で、遺影用の写真を探さなければならないわ、てんてこ舞いの中で戒名の相談は行なわれるのだ。通夜までに戒名を決めねばならないという時間的な制約もある。

こんな極限状況の中で、僧侶が提示してきた戒名に「こんな高い戒名料払えません」といえるだろうか?ネットの掲示板でも、戒名料に関する不満は渦巻いている。「泣く泣く言い値で払った」「父が院号だったので、母も同じにしないとあの世で釣り合わないと言われた」「いい戒名じゃないと成仏できません」悪い戒名というのがあるのか?もしこんなことになっても、死んだあなた自身はこの交渉には参加できない。完全に後の祭りなわけだ。

それにしてもどうしてこんなに戒名が高いのか?というと、「いやいや戒名料なんてものは存在しないんです。あれはお布施です」という僧侶も出てくるだろう。確かに戒名料とは、正しくは御布施である。キリスト教にしてもイスラム教にしても、日本以外の仏教国でも、その宗教で葬式をあげるものは、必ず日ごろから教会や寺院にお布施をするのが普通だ。

そもそも、仏教は「空」であり「無」を根本とする。亡くなった後の戒名に上下格差が生じるなんて、これほどおかしいことはない。第一、院号なんて、元は皇族や公家(○○院)、将軍などの武家(○○院殿)しか授けられなかったものだ。それがいまでは両者の間にも格差が生じて、○○院よりも○○院殿の方が格上ということになっている。極端にいえば、金を積めば誰にでも授けれらるものになってしまった。

戒名料が遺族側にとって厄介なのは、自分たちが不要だと考えている「院号」を僧侶がつけてきたときだろう。一般的に院号がつくかつかないかで数十万円の格差が生じるからだ。実際、そうした不満は渦巻いている。「だいたいこの辺りは、皆さん院号をつけておられます」などと言われたら心は揺れるだろう。「お布施の一回払いですよ」などといわれるケースもあるかもしれない。葬儀ってそういうものなのだと、いわれるままに払うしかないと思うかもしれない。


『週刊現代』


加藤  |MAIL