加藤のメモ的日記
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| 2011年12月04日(日) |
暴力から生まれた権力 |
武士というものが登場したころは、武士はもろもろの「職人」の中の一つという扱いを受けてきた。武士は殺傷の技に巧みな職人にすぎなかったのである。武士は漁師などと同じように、流血にまみれた「穢(けが)れた」仕事に従事する人々とみなされていた。いでたち一つとってみても、動物の皮でしつらえた武具を身にまとい、血を恐れず、平然と他人の命を奪うことができる職人である。殺傷の職人である武士と、死んだ動物の皮を剥ぐ別の職人との間に、さしたる違いは感じられてうなかったはずである。
しかし、その武士が権力に近づくようになると、殺傷の技に巧みな職人としての本性は、文化的な装いをすることによって、次第に隠蔽されるようになった。たとえ流血にまみれた「穢れた」仕事ではあっても、武士がふるう暴力の中から権力が出現するようになれば、殺傷の技にも後光が射してくる。権力のまわりには「御威光」がまとわれて、人々の目はくらまされる。
こうして暴力から生まれた権力は正当化され、殺人の技芸は聖なる領域にまで高められた。そしてそれと呼応するように、武士は今までのマニファクチュア集団だった皮革職人たちを、穢れた仕事に従事している人々として距離をとろうとするようになった。殺人の技芸は聖なるものであっても、動物を殺して皮を剥ぎ、肉をとる行為は穢れているという、まことに倒錯した考え方でる。
皮革職人には「エタ」という差別的な呼称が与えられ、縁組をしない、居住地を分離するなどの、あからさまな差別を受けるようになった。エタという言葉は、狩猟用語の「餌取り(えとり)」から転じたものと考えられている。「皮革職人は漁師に近い」というわけであろうが、そういう武士こそ出自をたどれば、紛れもない猟師である。
神社付属のキヨメたちも、エタのカテゴリーに入れられて、差別を受けることになった。キヨメは大地と神聖なものとのインターフェイスの領域を管理する、神社にとって重要な仕事を受け持っていた。とくに、イカリスの霊のような、地主神の霊力が地上に向かって吹き上げてくるのを、Y字回路を使ってうまく制御するためには、大地に触れているキヨメの任務はとても重要なのである。死や血の穢れを自分に引き受けて、浄化する呪術に巧みなのが、キヨメたちであったからだ。
中世までの神道には、こういうキヨメの機能が、どこでもきちんと組み込まれていた。ところが近世になると神道は、この大地の霊につながりを持つキヨメの技を、自分から切り離すようになる。神道は古代的なY字の回路を捨てて、単純極まりない清浄の考えのまわりに、近世型の神道をつくりあげていった。キヨメは宗教の世界でも、厳しい差別を受けるようになった。こうして、古代宗教以来のキヨメという職能は、分離させられて、その中から芸能者が発生するとともに。、多くがエタの身分に組み込まれていくようになった。
『週刊現代』
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