加藤のメモ的日記
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| 2011年11月26日(土) |
レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密 |
人類史上最高の天才画家とされるレオナルド・ダ・ヴィンチ。博物学でも卓抜な才を見せた万能の人でもある。しかし。ダ・ヴィンチの真筆と断定できる作品は素描を除けば世界にたった十数点しか現存しない。その一つ『最後の晩餐』は人類の至宝として世界遺産に登録され、彼の作品は後世の芸術家に多大な影響を及ぼした。
また、彼の天才性は芸術の分野のみならず、数学、医学、植物学、建築技術など多岐に及ぶ。独学でさまざまな研究に没頭し、膨大な手稿を残すだけでなく科学的成果を絵画作品に昇華させてもいる。例えば光の作用を観察し、遠くのものは青みがかって見えることを利用した空気遠近法の発明などはその典型だ。また、リアルな表現を求めて人体解剖も行い、それまでの人体描写を一変させている。
レオナルドは私生児だった。公証人をしていた野心家セル・ぺエロの息子として誕生したが、母親の生家は持参金が用意できないほど貧しく、父はレオナルドの誕生後に別の資産家の娘と結婚した。幼くして生みの母親と別れ、父と継母に育てられていたが、その継母もレオナルドが11歳の時に産祷熱で死亡。命をかけて出産に臨む女性の姿は、少年の心に強く刻まれたことだろう。
その後、10代でメディチ家の仕事を一手に請け負っていた芸術家集団のヴェロッキオ工房に入門し、親元を離れた。そんな経験から、母親に対する憧憬が人一倍強くなり、女性の理想像を聖母像に仮託したのではないかと考えられる。また、男性性が欠落していたといわれるレオナルドは、同性愛者疑惑も囁かれる通り、生身の女性にはあまり関心がなかったようだ。彼は一度も妻帯せず、恋人といえるような女性の存在も見当たらない。彼は生涯女性には、母性だけを追い求めたのではなかったか。
『週刊現代』
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