加藤のメモ的日記
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2011年09月18日(日) 電力自由化の時代(48)

原子力が安くなくなったという世界的な現状は、現在の日本の電力事情を見ても明らかです。日本では次第に電力の自由化というのが、世界的圧力にも押されて進んできました。概して言えば、電力料金は安くなる方向にあります。それは、いわゆる規制緩和、電力事業の自由化といわれる流れの中で、おのずと今までの日本の9電力(北海道電力207万kw、東北電力327万kw、東京電力1.731万kw、中部電力128万kw、北陸電力175万kw、関西電力977万kw、中国電力128万kw、四国電力202万kw、九州電力526万kw)、沖縄を入れれば10電力電力ですけれども、9電力によってブロック化され、地域独占が敷かれていた体制が崩れざるを得なくなってきたということです。

それは日本国内の産業界からの「日本の電力は高すぎる。より安い電力を」というプレッシャーと、海外からの、特にアメリカでしょうけれども、日本電力事業の開放という圧力にも勝てなくなってきたという事情によるもので、やはり大きいのは電力自由化の流れでしょう。

1995年には、発電設備を持っている他の産業が電力会社に卸しの電力を売ることが法的に認められるようになり、2000年の3月21日からは、大口需要家に限って、現在認められている9電力以外の発電設備を持っている企業が一般の需要家に、電力会社を経由しないで電力を下すことができるようになりました。そうすると、今まで電力会社が卸していたよりも、かなり安い電力を大口需要家に卸すことができるようになります。流れを見ていると、いずれは大口需要家だけでなくて、一般の需要家にも認められるような傾向になってくるでしょう。

ただ、9電力以外の電力発電設備能力を持った発電会社からの直接の卸売りが認められるようになっても、じつは、その際は電力会社の送電線も使わなくてはならなくて、Aという発電会社からBというユーザーに電力が送られる時、AB間の送電回路は東京電力とか関西電力などの電力会社の電線を使います。これを託送といいますが、電力会社が託送にけっこう高いお金を要求することがあって、電力がどれだけ安くなるかについては一概に言えません。それでもなおかつ、電力会社の電気よりも直接の卸売電力のほうが、確実に安いわけです。

どういうところが発電設備を持っているかというと、おおむね大企業です。日本の電力会社の電力を買うととても高いので、自分のところで重油を焚いて発電する能力を持っている会社が、とくに重化学工業会社には大変多いのです。さらに、2000年7月にはNTTの関連会社が電力小売り事業を行う新会社を設立しましたし、海外のいくつかの企業も参入の意志を明らかにしています。

NTTのような企業は、停電用の予備の電力をどうしても自前で用意しておかなければならないのですが、それが余剰になってきます。そういう電力を卸売りにまわすことができるのです。その他にも、発電設備を持っていて、そのような電力を全部合わせると、現在の電力会社の発電能力に対して決して無視できないようなレベルの電力を、商業的な競争力を持って提供できる会社がいくつかあります。

ユーザー側の大口需要家にとっては、このような電力を買うほうがはるかに料金が安くなります。コストの中に占める電力料金の比率は無視できなくなってきましたから、そういう方向に流れることがはっきりしてきています。とくに現在のように電力需要が伸び悩む中にあっては、そういう独立の発電事業者からの電力供給が、電力需要の中で一定の比率を占めていくと、電力会社がとくに新しい発電設備を準備しなくても、当面、電力需給がひっ迫するような状況は生まれないこともはっきりしています。

こういう一連の傾向は、電力会社が原子力の安い電力を提供するという神話も、ある面からみれば、すでに打ち砕かれていることの一つの証拠でもあります。というのは、電力の自由化の中で、発電企業として参入しているところは、比較的小規模の、主として石油火力、天然ガス火力といった発電設備を持っている会社で、そういう設備は非常に経済性があります。電力会社の発電設備よりも、はるかに経済的な競争力があることを示しているわけです。こういう状況の中で電力会社は、「完全に電力が自由化されるならば、原子力発電所なんていうのは、建設できなくなってしまうだろう」と言っています。

経済性を重視して、その経済性の中で電力需給が決まっていくという枠組みの中で議論がされる限りにおいては、非常に無理をして、莫大な資本投入をして長期的な計画のもとに巨大な原子力発電所をたてる、さらにこれに伴う廃棄物問題や廃炉の問題など、さまざまな問題を抱え込まなくてはいけない原子力は、競争力がなくなっていくだろうということを、昨今の自由化論争の中で、電力会社側自らが述べているのです。

海外を見ても、だいたいこういう自由化の過程に伴って、原子力は崩れていくようです。その一方で、これからのエネルギー源といわれる風力、太陽光、バイオマスなどの再生可能なエネルギーや、現在、流行の技術といわれる水素エネルギーないしは燃料電池なども、コストが下がってきつつあります。風力などは、地域的には原子力より安いという答えが出ています。

このような状況から、「原子力は安い電力」といういわば「経済神話」は、世界的にも崩れてきているのです。全体としては、現在、アメリカなどを見ると、石炭火力が圧倒的に安く、天然ガス火力も安くなっています。さらに、風力なども競合性を持つようになってきました。それに対して原子力は、それ自身の枠の中でも高くつくのと、経済には乗らないようないわゆる外部コスト、廃棄物処理の問題とか処分の問題というような不確定要因があって、非常に見通しが立ちづらいということの中で、経済神話が崩れてきたというのが現状だと思います。

……でも、実際に40年も原発が持つ加藤かというのは、極めて未知の領域であります。政府は今、原発の需要を40年はおろか、60年まではもっていきたいようなことを言っています。もしそういうことになればそれこそ安全を無視した、非常に無理な超長期運転という計画になってくると思います。

今まで日本で一番長く運転された原発は、もっとも初期に導入された東海原発ですが、これは32年で廃炉になっています。現在稼働している一番古い原発も30年になるわけですけれども(2000年時点)、これらの原発があと10年もつかどうか、私はたいへん疑問だと思っています。例えば敦賀1号炉というのは、原子炉の中心構造物に大きな亀裂が生じていて、これがだいたいどれだけ持つのか疑問ですし、また、そういう老朽化した原発を維持できるように寿命延長できるようにすると、さらに余分な新たな改修費、設備投資が必要になってきます。そういうことを考えると、この仮定には大変無理があるといえるでしょう。



『原子力神話からの解放』


加藤  |MAIL