加藤のメモ的日記
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2011年08月15日(月) 死の医学への序章(45)

西川医師が2年7カ月にわたるガンとの闘いの末に世を去ったのは、1981年10月19日。50歳であった。それ以来、私は西川医師のノートや闘病記や手紙の控えを何度読み、西川医師のモノローグや公演や訪ねてきた友人との会話を録音したテープを何度聞いただろうか。そして、生と死の問題についてさまざまなことを考え、いろいろな文献に目を通し、多くの医師たちの話を聞いてきた。

おかげで多くのことを学ぶことができたのだが、その中で気づいたことの一つは、死に直面した人々の手記は、ほとんど偶然の一致ともいうべき光への感動、目に映る世界への感動がうたわれているということだった。西川医師は、転移が発見されていよいよ明日再入院という日に、房総半島・勝浦の小さな別荘に、家族とともに心を癒しに出かけた時のことを、闘病記にこう書いている。

〈……私は乾かしてある布団に仰向けになった。秋とはいえ海辺の陽光はギラギラと強烈だ。どこまでも青い太平洋。白い小さな波。はるか沖合を白い船体の船が航行していく。上空高く東から西へジェット旅客機が飛んでいく。エンジン音は地上までは届いてこない。大きく深呼吸する。かすかな潮の香りを感じた。
数々の思い出が私の脳裏をかすめ去った。不愉快な記憶い、悲しい記憶、嫌な記憶が、どれも懐かしく美しいものにさえ感じられる。私は今、生きることの素晴らしさを感謝している。今まで私にはなぜ、この素晴らしさを感じ取れなかったのか。
妻は床を掃き、テーブルを拭き、風呂に水を張って忙しく立ち働いている。忙しく動き回っている妻の姿は美しかった……〉

それから一ヶ月余りたった11月20日、治療中にもかかわらず名古屋に出かけた時の闘病記にもこう記している。
〈かねてから予定されていた中京大学心理学科の特別講義のため、日帰りで名古屋まで出かける。帰りの新幹線からの景色が素晴らしかった。澄みきった青空に富士山の姿がえもいえない。妻も連れてきてやればよかった。来年は一緒に来よう。もし再び来られればの話だが〉

翌年5月、青春時代の思い出をたどって、上高地を訪れた時には、〈たった三日で……唐松も白樺もその梢の色をまるで違った色へと変えている。自然のエネルギーに圧倒された。朝の太陽も素晴らしかった〉と書いている。光と風景に対するこうした感度の高さは、「もっと光を」と美の表現の本質を光に求めたモネやルノアールなどフランス印象派の画家たちの世界を連想させるのだが、しかし、西川医師の文章をじっくり読んでみると、それは単なる風景描写や美の探究というよりは、生きることへの感動の投影としての光に満ちた情景、とりわけ親しい人間への限りないいとおしみから湧き出た心象風景というべきものであることがわかってくる。

私がこうした叙景の記述に気を止めるようになったのは、ガンで亡くなった作家高見淳が死の約一年前に刊行した詩集『死の淵より』をあらためて読み返したとき、「電車の窓の外は」という一編に、あまりの相似性を見出したからだった。その詩は、こう始められている。

電車の窓の外は
光に満ち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見慣れた風景が
急に新鮮に見えてきた
この世が
人間も自然も
幸福にみちみちている
だのに私は死なねばならぬ
だのにこの世は実にしあわせそうだ
それが私の心を悲しませないで
かえって私の悲しみを慰めてくれる
私の胸に感動があふれ
胸がつまって涙が出そうになる
………

技巧に走ることなく、心に映るもの、心に去来するものを直截に綴ってゆく。その静かな語り口が、読む者の胸の奥深くにしみ込んでくる。死を間近に意識した人の目に映る風景は、なぜこうも光に輝いているのか。繊維肉腫という悪性のガンのため31歳の若さで亡くなった大阪の井村一清医師も、広く読まれた遺稿『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』の中で、再発がわかってショックを受けた日、帰宅した時の不思議な体験を、次のように書いている。

〈その夕刻。自分のアパートの駐車場に車をとめながら、私は不思議な光景を見ていました。世の中が輝いて見えるのです。スーパーに来る買い物客が輝いている。走り回る子供たちが輝いている。犬が、垂れ始めた稲穂が雑草が、電柱が、小石までが美しく輝いて見えるのです。アパートへ戻って見た妻もまた、手を合わせたいほど尊く見えたのでした〉

死を不可避なものとして意識するということは、それが一年先のことであれ、三年先のことであれ、今という瞬間の生を濃密に意識せざるを得ない状況を作り出す。一日一日が緊迫する。必死になる。その緊張感が、病を知らぬ日常の何十倍にも感性を鋭敏にするに違いない。光を強烈に感じ、心を動かされるというのは、感性が高揚していることの一つの表れとみることができないだろうか。


『死の医学への序章』


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