加藤のメモ的日記
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2011年05月23日(月) 沖縄の悲劇が生まれた理由(31)

…こうして沖縄作戦の戦局は悪化の一途をたどり、住民約10万人が死亡するという悲劇を生んだ。悲惨な集団自決があちこちで起こった。これは、日本軍が「敵に辱めを受けるぐらいなら、自決せよ」と教えたからだとされている。実際、アメリカ軍はガダルカナルでもニューギニアでも日本兵を皆殺しにした。捕虜をとらなかった。

洞窟に日本兵が立て籠もっていると、出て来い、とカタコトの日本語で呼びかけて、出てくると火炎放射機で丸焼きにした。猿の丸焼、というわけだ。ハルゼー艦隊司令官は、次期作戦はいつかと聞く新聞記者に向かって「もうすぐ猿の肉をたくさん取ってくる」と言っている。パプアニューギニア、フィリピン、レイテと、米軍は捕虜をとらずに攻めてきた。捕虜になったのは、人事不省だった兵隊ぐらいである。南方作戦では、手をあげて出て行ったら殺されるというのは、常識になっていた。

大岡将兵の小説でも、主人公が投降しようとして出て行きかけたら、他の兵隊が先に「降参、降参!」と言って飛び出し、アッという間に蜂の巣にされてしまうという場面がある。これは特殊な例ではない。両手をあげて出ていけば助かる、という国際条約は存在しない。降伏とは、集団でするもので、これは現在の米軍の戦闘マニュアルでも、そう書いてある。

降伏とは指揮官同士の話し合いで決定する。指揮官の命を帯びた軍使が白旗を揚げて、条件交渉をして降参する。ハーグ陸戦規定はそうなっている。個人投降の規定はない。個人投降は殺してもよい。個人投降を必ずしも受け取る必要はない。考えてみれば当たり前の話で、勝ちそうな時は攻撃して、負けそうになったら助けてくれというのは虫がよすぎる。

大岡将兵の小説に書いてあるのは、アメリカは降参する人間を殺したと弾劾しているのではない。「やばいな、これでは殺される。じゃあ投降するのはやめた」と逃げて、死んだ戦友の肉を食う。それがこの小説のテーマだ。それからもう一つ付け加えると、戦友は「死んだら俺の肉を食ってもいいよ」と言って死ぬのである。これは小説だが、大岡氏はフィリピン線の体験者だし、人間は昔から食人をしているから、切羽詰まればあり得ない話ではない。

戦後に間違った常識がまかり通っているが、激戦の最中に捕虜はとらない。足手まといだし、いつ裏切るかわからない。片付けて進むのは当然である。アメリカ軍もイギリス軍もソ連軍も、そのようにして戦ったが、戦後、映画にされて広く世界に伝えられたのは、負けたドイツ軍と日本軍のほうだけ、というのは気の毒だ。これは戦争について考えるに際し、根本の常識が間違っていることの一例である。


『人間はなぜ戦争をするのか』




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