加藤のメモ的日記
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地震大国・日本の原発研究者の中には手厳しい批判をしていた人たちがいたのである。にもかかわらず、お金をかけたくないというコスト優先主義によって無視されていったのだと思う。福島原発の1〜4号機に使っている原子炉は、米・ゼネラルエレクトリック社が作ったもの。1975年にはすでに危ういと、自身の職をかけて闘った同社の設計者、デール・ブライデデンボーという男がいた。
彼は冷却機能が失われると内部からの圧力で損傷してしまうと懸念していた。格納容器の貧弱さも、これまた想定内だったのである。神戸大学の石橋名誉教授は指摘していた。「大地震が起これば、長時間外部電源が止まって、早急に修理されない可能性がある。激しい揺れで備蓄燃料が漏れてしまうこともありうる。非常用の発電機が立ち上がらない可能性も無きにしもあらず」と。今回の福島の事故が想定されていたのだ。
そもそも、関東の電力を供給するのに、なぜ原発を福島に作るのか。それは事故がありうるからだろう。東京に原発を作って、ひとたび事故が起これば、首都機能は壊滅する。だから作らない。事故が起きうることは想定内なのだ25年前、チェルノブイリ原発が炉心爆発を起こした。僕は94回医師団を送って救援しながらチェルノブイリを見てきた。今も原発から200キロも離れていて高汚染が続いている地域がある。原発の傷は想像以上に深い。
福島原発での事故はチェルノブイリと同じレベル7になった。ということは、25年に1度、原発の大事故が起きる可能性があるということだ。日本の原発は安全と、原発を推進してきた科学者や政治家は言い続けてきた。100%大丈夫な技術などありえないはずだ。原子力安全委員会や原子力安全・保安院、そして東電の幹部や政府の担当者たちは現場を歩いてみるといい。地震と津波、そして目に見えない放射能と風評被害。現地の人は、今も先がまったく見えない。
東電は、コストに合わない意見は切り捨ててきた。それを後押ししてきたのは、旧政権や新政権の政治家達だ。さらにその上で、「原子力村の学者」が「科学的「という呪文のような言葉を使いながら、福島原発の欠点と弱点を覆い隠してきた。反対意見をいう人、異論を唱える人をこの国はもっと大事にしなければいけない。民主主義の大原則だ。原子力村のナアナアのネットワークが、こんな大事故を起こしたのだ。
核燃料として利用されるウランは、あと50年で枯渇するといわれている。埋蔵量は豊富なのだが、海底などに多くあり、採掘しても採算に合わない。だから長くは続けられないエネルギー政策なのだ。そろそろパラダイムの転換が必要だ。今回の事故で世界では原発の安全基準が厳しくなるだろう。安全確保のための経費を考えると、原子力発電はコストが安いとは決していえなくなる。
風力発電や太陽光発電などの再生可能なエネルギーは、2010年の世界では、合計3億8100万kwになり、原子力発電のエネルギーを抜いた。今や、これが世界の潮流である。日本の意識が遅れているだけ。貿易立国として、産業界は再生可能エネルギー促進に全力で取り組み、国がそれを全力で支援すべきだ。
土壌改良がきちんとできるまでに何年かかるだろう。農地を、町をもとに戻すには何年かかるのだろう。海を汚してから、日本への同情は少なくなった。海外からの風評被害をなくすのにも何年もかかるだろう。数年後、事故の可能性が低い原発を開発しました、というのでは世界から尊敬されない。今度こそ、原発の事故を起こしませんなんて寝言はやめてほしい。
福島第一原発から20キロ圏内に代替エネルギーとして太陽光パネルを敷き詰め、原発の沖合には海上風力発電の設備を置く。世界をアッといわせる必要がある。代替エネルギーへの転換に日本の技術力を見せつければやっぱり日本は凄い、と世界が称賛するのではないだろうか。発想の転換が必要だ。
『週刊ポスト』
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