加藤のメモ的日記
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…2002年に、東電が自主点検した際、原子炉がひび割れしていたのに国に報告せず、当時の東電の社長、会長が引責辞任に追い込まれた事件のようなことが他にもなかったのか、ということが今後の大きな争点だからだ。もし、東電に瑕疵があれば当然その責任は膨れ上がり、東電は水俣病患者への補償を行なうためだけに存続しているチッソや、薬害エイズ事件を引き起こして消滅したミドリ十字と同じ運命を辿ることになるだろう。
被害を拡大した高すぎる免責率 さらに、国が国民を守る責任を本当に果たすためには、保険業界に対する指導も不可欠だ。例えば、05年にアメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナの場合は、被害総額12兆円の半分以上が保険でカバーされた。一方、阪神・淡路大震災の場合は6兆〜7兆とされる被害総額のうち保険でカバーされたのは20%ほどでしかなかった。
読売新聞によれば、東日本大震災で被害を受けた自動車の大半についても損害保険が支払われない見通しとなっている。車両保険の契約者のうち、地震や津波などによる損害を補償する特約の加入者が1%未満にとどまっているためで、損害保険会社がその特約を積極的に販売してこなかったからだという。
つまり、本来なら国は国民の負担を減らすために平素から保険業界を指導すべきなのに、実際は何でもかんでも免責にしてしまうイカサマな保険の販売を容認し、いざとなったら1000年に一度の大震災と巨大津波の被害はカバーされないという状況をもたらしたわけである。「国民の生活が第一」というスローガンが聞いて呆れる。
東電にしても責任ある民間企業として、今回のような大規模事故を想定した保険に入っていなければならなかったはずである。前述の原賠法により、電力会社は原子力損害賠償責任保険への加入が義務付けられて入るが、その賠償措置額は一つの原発について1200億円でしかなく、今回の事故の賠償には全く足りない。政府は最悪の事故が起きても国民に被害が及ばないようにするために保険に加入しなさい、その保険料に関しては電気料金に反映してもかまわない、と電力会社を指導すべきだった。
それも怠っていたこの国の政府には、基本的に国民の生命や財産を守るという思考体系が欠落していると言わざるを得ないだろう。つまり、企業の国の社会的責任が、日本政府には欠落しているのだ。福島第一原発の事故の教訓、それは無能な政府を持つと国民がどれだけ苦しい生活を強いられ、かつまた高いものにつくか、ということだ。
『週刊ポスト』
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