加藤のメモ的日記
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今回の地震は想定外の災害だとか未曾有の出来事だというけれと、それは嘘です。同じようなことは過去にも起きている。一方、過去の災害から学ばなかったから大きな被害につながったというのも嘘で、みんな知ってはいても日々の生活の中にそのことを織り込むことができなかったんですね。
1896年には明治三陸大津波が、1933年には昭和の三陸大津波が起きている。そして今回が2011年ですから、100年に一度は大津波が来ることを想定しなければならなかった。さらにいえば、もっと長い歴史に学ぶことも必要です。福島原発の周辺は、海岸線から3〜4キロmのところまで津波が来たことがあるのを地層が物語っています。
実際、平安時代の貞観大津波級の津波が来れば、あの辺りはコテンパンにやられると、東電に働きかけていた人たちがいたのに、それをすべて無視していた。失敗はそんなふうにしてくり返されていくんです。津波は一般的には、波が押し寄せて水面が静かに上昇するだけだと考えられていたけれど、そんなものではなく非常に流れの速い水の塊が海から攻め込んでくる、と考えなければならない。
そういう正しい津波のモデルを知識として持ち、いざという時にどう逃げるかを仮想演習して、普段から避難訓練を重ねておくこと。ただしそれに盲目的に従うのではなく、最終的には自分の判断で行動すること、それで初めて自分の命を守れる、ということが『津波災害―減災社会を築く』岩波新書には書かれています。今回の震災でも、津波教育を徹底していた小学校などでは、多くの子供たちが逃げのびることができました。
原発の寿命は50年前後といわれている。‘54年に世界初の原子力発電所が旧ソ連で運転を始めた直後から、欧米諸国で競うように原発が作られるようになったため、すでに寿命が尽きたものも多く、各国で解体作業が次々と進められているのである。
廃炉はどのような手順で行われるのかというと、「運転を停止したら、まず、余熱を帯びた使用済み核燃料を1〜2ねんかけて冷却し、原子炉からとりだします。次に、機器や配管を除染し、放射性物質の量が充分に下がるまで待ちます。これに10年ぐらいかかる。その後、原子炉から遠い建屋や施設の解体を始め、少しずつ原子炉近くへと解体を進めていく。そして最後に原子炉圧力容器を切断するのです。これらの作業が完了し、原発のあった場所が更地になるまでの年月は、原子炉の規模や出力の大きさなどで変わってきますが、多くの場合20〜30年を要します。」原子力研究センターの森氏が語った。
実に長い時間がかかるのだ。しかしそれですべてが終わったことにはならない。そこに原発の恐ろしさがある、工学博士で、著書に『廃炉時代が始まった』がある舘野敦氏が指摘する。「最大の問題点は、放射性廃棄物が残ることです。使用済み核燃料は、原子炉から取り出した後も放射性物質を出し続けます。地中深くに、数万年という単位で埋めておかなければ安全なレベルにはならない。大きな地震に見舞われ埋設施設が損傷すれば、放射性物質が流れ出すことも考えられます。また、地下水によって保管容器が劣化し、放射性物質が漏れて、地中を汚染する危険性も否定できません」原発を造ってしまったことのツケは、遠く後世に回されるのだ。
『週刊現代』4/30
想定外とは、そこまで考えていませんでした。私がバカでした。ということである。
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