加藤のメモ的日記
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2011年04月23日(土) モーツアルトの手紙(27)

モーツアルトは、ウィーンではかなりの収入をあげていたし、勢い、結構大きな家に住んだり、贅沢な暮らしをしていたようです。馬も持っていました。当時は馬車に乗ったり、乗馬するというのは、王侯貴族の生活に属していたことでした。つまり、ステイタスシンボルとでもいうべきものでした。馬を持てば、その世話をする人もいるし、馬小屋だって必要になります。維持するのに大変なお金がかかりました。ということは、彼にはそんなことができるぐらいの財力があったのでしょう。

モーツアルトは6歳のころから旅また旅の生活をし、いつも馬車で旅行していたこと、そしてその馬車には当然のことながら馬が必要で、馬には慣れていたこと。しかし、馬車は自家用馬車であっても、馬は駅で乗り換えていくものでした。ところが、ウィーンに出てお金に余裕が出てくると、モーツアルトは貴族然として、馬を乗り回したくなったのでしょう。

作曲のレッスンという点では、モーツアルトは、英国人音楽家トーマス・ヤーコブに音楽理論を中心にかなりきめ細かい教えぶりで、英語でメモを残したりして、作曲家の先生としても、一流であったようです。しかし、弟子の養成という点では、映画『アマデウス』で、モーツアルトのライバルを演じたサリエリのほうがはるかに上であったような気がします。サリエリは、ベートーベン、フンメル、シューベルトといった音楽史に名が残る作曲家を世に60人も送り出しています。サリエリの場合、弟子のほうが先生より有名になってしまったわけですが…。

モーツアルトは6人の子供を持ち、二人は長生きしました。モーツアルトの死後、妻だったコンスタンツェは、ゲオルグ・ニッセンと再婚しました。モーツアルトの先生には、ヨハン・クリスティアン・バッハ、ヨーゼフ・ハイドンがいます。

H3年はモーツアルトの没後200年の年ということもあり、彼の死因について、数多くの仮説が登場し、新聞雑誌をにぎわせました。モーツアルトが世を去ってすぐに、ベルリンの週刊誌に早くも毒殺説が登場します。19世紀の20年代にはサリエリによる毒殺が云々され、19世紀末にはフリーメイソン結社が結社の奥義をもらされた復讐のため、モーツアルトを毒殺したとの説も登場します。



『レクイエム』が未完のまま、モーツアルトが世を去ったことは、広く知られています。モーツアルトの死後、この未完の『レクイエム』を補筆完成させる役割は、助手を務めていたジェスマイヤーの仕事でした。しかしそのジェスマイヤーの補筆が稚拙だということで、この200年間、なかなかかまびすしい論議が戦わされてきたのでした。この『レクイエム』をモーツアルトはどうしても完成させたかったといわれています。その証拠としてあげられるのは、次のモーツアルトの手紙です。

「敬愛する貴下
あなたのお申し出に、喜んで従いたいのですが、しかし、どうして私にそれができるでしょう。私の頭は混乱しています。お話しするのもやっとのことです。あの見知らぬ男の姿が目の前から追い払えないのです。いつでも、私はその姿を見ています。彼は懇願し、せき立て、せっかちにも、私に作品を求めます。私も作曲を続けています。休んでいるよりも、作曲している時のほうが疲れないのです。それ以外、私には怖れるものとてないのです。私には最後の時が鳴っているように思われます。私は自分の才能を十二分に楽しむ前に終りにたどりついてしまいました。でも、人生はなんと美しかったことでしょう。生涯は幸福の前兆のもとに始まりました。でも、人は自分の運命を変えることはかないません。人はだれも自分で生涯を割りふることはできないのです。摂理の望むことが行われるのを甘受しなければなりません。筆を置きます。これは私の葬送の歌です。未完のままに残しておくわけにはいきません。                    ウィーン 1791年9月」

モーツアルトの最後の年の、そして最後の時期の心境を見事に伝えている手紙として、昔から大変有名でありましたが、その手紙は、現在では現在では大きな疑問符がつけられているのです。この手紙はイタリア語で書かれていますが、何かモーツアルトの従来の、イタリア語の手紙とは異なったスタイルを示しています。それに宛名も残されてはいないし、でき過ぎているのです。

『レクイエム』作曲中のモーツアルトの心境を、いわば余すところなく伝えてくれているといった性格を持っています。とりわけ最近の『レクイエム』の研究成果は、モーツアルトが白鳥の歌の作曲にとりかかったのは、おそらくは『魔笛』の作品と上演のあと、10月に入ってからとも推測されるからです。

確かに、モーツアルトの最後の時期のこうした物語は、後世の人間にとってまことに強い印象を与えてくれるものを持っています。事実と想像とが混然と一体になって、こうした手紙が生み出されたものなのでしょうか、いずれにしても、モーツアルトの最後の姿は、私たちの心をとらえて離しません。贋作が生み出される所以なのでしょう。



『モーツアルトちょっと耳寄りな話』


加藤  |MAIL