加藤のメモ的日記
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2011年03月25日(金) 東北市街壊滅

3月11日、東北、北関東を襲った、日本観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震と大津波。

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世界最大級の地震と津波が東日本各地を襲った、東日本大震災は、万単位の犠牲者数も予想される未曽有の被害をもたらしている。3階建ての校舎の屋上は住民たちでいっぱいになったが、ここまで押し寄せるほどの津波はなく、午後一時ごろ、警戒は解除された。

小学校から海までの距離は約4キロ。校庭は泥田のようになっており、マグニチュード9.0という巨大地震とともに襲った津波が、ここまでたどり着いたことを物語っていた。仙台市内の海岸から約4キロの範囲は、ことごとく津波に襲われた。宮城県が想定していた浸水範囲は、この40分の1の100メートル。東北大学の研究チームは「海岸のすぐ近くでは、津波の高さは10メートル以上に達したとみられる」と発表した。

泥水で覆われた田畑には、跡形もなく崩壊した家屋の瓦礫が山のように積み上がり、横転した自動車が水没している。特に、岡田の南側の若林区荒浜は海岸沿いの集落が崩壊し、200〜300の遺体が発見され、市内でも最悪の被害地となった。岡田のやや北の海岸沿いに住んでいたある一家は、地震のあった14時46分ごろ、家にいた82歳の祖母と高校生の孫娘2人が被災した。

地震直後、近所の男性が車に乗せてくれて、急いで海から離れたが、津波に追いつかれて車は横転。投げ出しされた孫娘二人は木に引っかかったが、祖母と男性がそのまま流されたという。孫娘二人は、すぐに救助されたが、祖母は仙台市にで見つかった遺体の安置所になっている仙台近郊の体育館に運ばれていた。祖母が流されて離れていくところを目の前で見ていた孫たちは、祖母の死を知って号泣した。一緒に逃げてくれた男性は行方知れず。

岡田小学校の海側2キロほどの自宅に住んでいた60代の夫婦は、立っていられないほどの地震の後に、津波を警告するサイレンを聞き、小学校に逃げ込んだ。当時、33歳の一人息子は数キロ南の海岸近くにある仙台空港付近の会社に勤務中。夫婦は寝泊まりする小学校に息子が現れることを信じてただ待ち続けているが、空港周辺はほぼ壊滅状態。息子の携帯電話は不通のままだ。

それでも無事でいることが当たり前のように、「職場近くの避難所に入っていればいいけど、違う地区なので白い目で見られていないかどうか」と、相互扶助である一方で、閉鎖的な側面もある日本の農村独特の心配を口にした素朴な夫婦の様子に、筆者も奇跡を祈らずにはいられなかった。

“すれ違い”ストレスが募る
「また津波が来たら、そんときは死ぬっちゃ。覚悟決めたわ。体育館に泊っては迷惑かかるし、泥で臭くたって、家のほうがいいべよ。杖ついた年寄り担いで校舎昇るの大変だし、それなら家で死ぬっちゃ」13日の津波警報の解けた岡田小学校の校舎では、親子とおぼしき女性二人が声を荒げていた。家は無事だったが、高齢の父親がいるため、津波警報のたびに避難するよりも、避難所への滞在を希望した。

しかし、約800人がすでに避難生活を送る体育館に入ろうとしたところ、「もう一杯、といわれた。引っ越して半年だから、よそ者扱いされた」といい、この日、ようやく再会できた親子は涙を流しながら去っていった。長野県で新聞記者をしていた筆者にとって、これも日本の田舎らしいと感じる光景だった。

親子の話を聞いていた40代男性は「入れないといわれたわけじゃないはずだけど、みんなイライラして、こういうすれ違いが多い。自分も家を片づけないといけないが、会社は壊滅状態。しばらくはここに通って少しでも助けになりたい」と涙ぐんだ。警察庁によると、3月16日20時現在、12都道府県で確認された死者数は8194人。阪神大震災の死者数6434人を上回る見こみ。

04年末のスマトラ沖地震の津波取材でインドネシア・アチェを取材した際、発生2週間後になっても瓦礫の中から遺体が発見される様子を見ている。死者数はさらに膨らむだろう。三陸海岸沿いの農漁村における被害はとくに甚大だ。福島県では、原子力発電所が炉心熔解をを起こすなど、世界的な大惨事も想定されている。

労働者を都市に供給する過疎・高齢化地域が、原発などの“迷惑施設”を受け入れるという“中央を支える“典型的な日本の田舎を襲った震災といえる。関西経済の重要地域で、人口流入もあり、元に戻る方向で復興した阪神大震災とは、復興の方向と意味合いが違ってくるだろう。

アチェの大津波では、長年続いてきたインドネシア中央政府との内戦を終結させ、汚職や格差を生んではいるものの、新たな社会づくりが進む契機となった。この震災も、日本社会のあり方をどうしていくのか、日本人全体が考えながら、復興に取り組まなければならないことは確かだ。



『週刊大衆』


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