加藤のメモ的日記
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| 2011年03月06日(日) |
これを「革命」と呼ぶべきか |
今回の革命からは、3つの共通した特徴を汲み取るべきだろう。「自由」「若者」「情報」だ。3つの国の独裁期間は、チュニジアのベンアリ大統領が23年、エジプトのムバラク大統領が29年、リビアのカダフィ大佐が41年。日本の自民党政権が38年だったから、その間ずっと一人の首相だったと想像すれば、その絶望的な長さがイメージできるだろう。国民の半分は、生まれた頃から政治のトップが同じなのだ。
チュニジアの革命の発端をつくったのは、大学進学を夢見ながら失業中の26歳の青年だった。多人数の家族を養うために路上で野菜や果物を売っていたところ、取り締まりの女警官に無許可を理由に商品を没収され、殴られた。絶望した青年は県庁舎前で抗議の焼身自殺を図り、大学を出ても職がない似た境遇の若者たちの間に、同情と共感が広がってデモに発展したのだ。
注目すべきは、若者たちの情報の広がり方だ。20世紀型革命のような、ビラでも看板でも演説でもない。携帯電話を使った、インターネットを通じた呼びかけだった。とくに短い言葉で呟く「ツィッター」と、会員制交流サイト「フェイスブック」の威力が大きかった。
ここでも考えてみれば、最新型の携帯電話を持っていて、縦横に使いこなせる若者が、明日のパンにも困るほど貧しいとは言えないだろう。平均すれば大学卒業程度の教育があり、生活水準は中流程度の若者である。彼らは生まれる前から語ることを禁じられている国内政治を除けば、ネットを通じて民主主義政治や自由についても知っている。
やはり革命の動機は政治的欲求であって、経済的必要ではなかったのだ。チュニジアでもエジプトでも、実際に集ってみて初めて、若者自身も数の多さに驚いた。その驚きが携帯電話を通じたメールで伝わり、数時間で新たな仲間を引き寄せた。千単位の規模なら、独裁国家は暴力装置の力で蹴散らすけれど、万単位に膨れると、物理的にそれもできなくなる。
チュニジアとエジプトでも警官隊は最初、手当たりしだいに暴行し、死者数100人、負傷者数千人を出したが、2〜3日で手がつけられなくなって警官は引っ込んだ。代わりに登場した軍は、国民を殺さず独裁者の追放に動いた。リビアでも似た展開が起きつつある。
若者が独裁者の暴力装置をはね返した勝因は、まず時間があり余っているために集まれる人数、何日も泊まり込みで街頭に繰り出せる若々しい体力、そして未経験ならではの怖いもの知らずの突進力だ。数が減り内向きに縮みこむ日本の若者とは正反対のエネルギーは驚異的だ。
潜在する若い力は、これからも揺れ動く他の中東諸国にも共通している。中東革命は中国、インドとならんで、この地域が意外な人材力を秘めていることを示した。民主化が定着していけば、最新の通信手段を駆使し、成長の機会を手にしたこれら若者の群れは10年後、大変なパワーに化けるだろう。
しかし同時にこうした特徴は、始まったばかりの中東革命が抱える弱点でもある。情報を操るといっても、「ツィッター」や「フェイスブック」で交わされるのは、深い意味や論理に基づいて書かれたものではなく、断片的な思いつきや感情、反応でしかない。彼らは民主化を通じて何を求め何をつくり、何を学ばなければならないのか、まだわかっていない。
いきなり巨大な無秩序・無計画の中に放り出され、ウジャウジャとうごめいている状態だ。これから揺り戻しや内輪もめといった混乱が続くだろう。革命は長い混乱の始まりだ。エジプトで親米独裁が倒れ、米軍基地を置くバーレーンやサウジアラビアの王政まで揺らげば、米国は中東に足場を失う。軍事地図に灰色の領域が生じる。数え上げれば民主化どころではなくなるシナリオは、いくらでも想定できる。革命の現実は夢物語や美談とはほど遠い。
だが、準備も設計図も指導者もないまま、中東は壮大な冒険に足を踏み入れてしまった。後戻りはできず、世界は中東に引きずられて荒野を進むしかない。
『週刊現代』
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