加藤のメモ的日記
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2011年02月17日(木) 『異水』(11)

 その日も数人のグループで盗みに出たが、Nは一番後ろをゆっくりと歩いていたために、病院から湯屋へ向かうと母と妹に出会った。「元気だでが」と、笑って話す母に、Nは虫酸が走った。その少し前に、妹からは母はNが上京したら「赤飯たいで喜ぶべし」と言ったと聞いていたのだ。Nはそこで怒り、店頭のマネキンに着せて飾っていた派手なセーターを皆がポカンと見る中で盗んで逃げた。好みに合わなかったが、店主に反抗して「月賦で返す」と騒ぎを大きくした。品物を返せば警察沙汰にしないという店主に従って、事件は解決した。

しかし、担任の先生は事件を会社へ通告していた。集団就職列車で上京し、会社に勤めたものの、非行が上司の口から暴かれてNはやる気を失った。そして、冷遇されている青森市出身のアメリカ人と日本人の混血の先輩に同情し、地下倉庫で彼と一緒に仕事をした。それが上司の気に入らず、首になったのだ。

 母がいる家に帰りたくなかった理由はまだある。Nが5才の時に、厳冬の網走に中学生を頭とする3人の姉兄たちと一緒に母たちに捨てられたのではないかという疑問が解決できないでいたからである。Nが中学1年の冬に父が岐阜県のある町で野垂れ死にした。父とは網走以後同じ家に住んだことがなかった。父は家族から見放されていたのだった。彼は、汚れたズボンのポケットの中に10年玉1個のみを残して死んだ

。寺での葬式の時に、次兄の忠雄が、網走に「置いて行かれたのを覚えているか」と言った。その時から網走の記憶をかき集め始めた。母に網走のときのことを訊こうとすると、「バグヂで、家、畑、、みんな取られただッ」云々と死んだ親父を非難するだけであった。父の4枚の死体写真をNが仏壇代りの小さな蜜柑箱の奥から発見した時に、家出同然に北海道へ林檎の袋掛けに出稼ぎに行っていた。母は浮気相手の駅の助役とのことでオンチャコの母親と喧嘩した後に、それをしたのだった。オンチャコは二級年上の気がいい男で、Nの友達であった。そのころにNは自殺を考えたことがあった、中学3年の秋に自転車で福島まで家出したこともあった。それらの出来事はすべて母から逃げたいがためにしたことだったのだ。

母を嫌う一方で、Nは海が好きだった。海を見ていると、網走の浜辺でセツ姉さんが幼いNに優しくしてくれたことを思い出すからである。20歳ほど年の離れたセツ姉さんは、青森の弘前市郊外にある精神病院に出たり入ったりしていた。そのセツ姉さんは、Nが小学6年になった頃に、同じマーケット長屋の同年代の男に妊娠させられた。母に頼まれてその水子の墓石となる漬物石を寺に運んだ時から、彼女を嫌いになってしまった。その分Nは海が好きになっていたのだ。


『異水』永山則夫



永山則夫

横須賀市の米軍宿舎から、盗んだ22口径の回転式6連発銃で1968年10月から、1969年4月にかけて東京、京都。函館、名古屋で4人を射殺し、連続ピストル射殺事件を引き起こす。1969年4月(当時19歳10か月)に東京で逮捕された。1970年に東京地方裁判所で死刑判決。1981年に東京高等裁判所で無期懲役にいったんは減刑されるが、1990年に最高裁で「家庭環境の劣悪さは確かに同情に値するが、彼の兄弟は凶悪犯罪を犯していない」という理由で死刑判決が確定する。1997年8月10日、東京拘置所において、死刑が執行された。全国紙はいずれも当日の夕刊の第一面で報じた。

生前永山は知人に「刑が執行される時は全力で抵抗する」と述べていた、実際に処刑の際、永山が激しく抵抗したとする数人の証言がある。このため、永山の死体は拘置所内で即座に火葬されたといわれている。永山の告別式は、東京都文京区の林泉寺で行われ、喪主は東京高等裁判所における差し戻し審で弁護人を担当した遠藤誠弁護士が務めた。永山の遺言により、遺灰は故郷の海であるオホーツクの海に、妻だった和美の手によって散布された。

「9時前ごろだったか、隣の舎棟から絶叫が聞こえました。抗議の声のようだった。すぐにくぐもったものになって聞こえなくなったので案じていました」がある。



遠藤 誠 1930〜2002

第二次世界大戦中は、戦死した父の仇打ちをしようと仙台陸軍幼年学校に入学するが、戦後になって父親の形見の従軍手帳を読み、中国大陸での日本軍の行為を知る。以来、昭和天皇の戦争責任を追及し、反国家権力の立場で活動する。帝銀事件弁護団長や、反戦自衛官訴訟弁護団団長などを務める。永山則夫の弁護人も務めた。



永山則夫の主な作品

『捨て子ごっこ』親に捨てられ弟を捨てる。貧困と闘う北国の子供たちの姿を透明な抒情の中に刻み込む純文学作品集。

『なぜか、海』家族から、故郷から逃れるために少年は東京を目指した。清冽な孤独の力で魂の叫びを結晶させた作品集。

『無知の涙』4人を射殺した少年は、獄中で字を習い、本を読みながら初めてノートを綴った。比類なき魂の奇跡を伝える感動の手記。文庫版 河出書房

『木橋』津軽の13は歳は悲しい。移りゆく季節の中に幼い生の苦しみを刻んで、作家の誕生を告げた新日本文学賞受賞作他2編収録 文庫版 河出書房







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