加藤のメモ的日記
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| 2011年01月31日(月) |
シュメール文明(6) |
歴史学者ロバート・テンプルの説によれば、ノンモ発祥の地はエジプトであるという。そのエジプトは、紀元前3000年ごろ、それまで2000年ほど続いていたのどかな農耕社会から、突然に大発展を遂げる。全土が一国として統一され、象形文字が作られた。さらに、大ピラミッド群が建設されるのは、それからわずか500年後のことである。
この急激な文明の影に、メソポタミア文明の影響があったことは、ほぼ間違いないといわれている。紀元前3000年といえば、シュメール人による都市国家文明がピークを迎えていた時期である。だとすれば、ここに一つの仮説が成り立つ。オアンネスの伝承は、技術や文化とともに、メソポタミアのシュメール人からエジプトに伝えられた。そしてエジプトで大きく脚色を加えられ、ノンモと名を変えてドゴン族へと伝わった。
しかし、仮にそうであったとしても、シュメール人に関する謎は消えない。彼らはいったい何者なのか。そして、オアンネスとは一体、何なのか、今のところそれらを調べる方法は存在しない。粘土板の記録によれば、やがて彼らの中に階級社会が起こり、富める者と貧しい者の差が極端に開き、権力者の間では陰謀が渦巻き、法律は形骸化し、秩序は乱れ次第に暗黒化していったという。
そして紀元前2000年ごろ、その機に乗じて北部の部族であるセム人が侵入し、高度文明都市はことごとく占領される。ここにシュメール文明は幕を閉じ、セム人によるアッカド文明に引き継がれることになるのである。高度文明をもたらした彼らは、今日にも通じる数々の社会問題の先駆者でもあったわけだ。
その後シュメール人は忽然と歴史から姿を消す。文字や都市社会といった文明だけが地理的にも時間的にも独り歩きを始め、その創造者の肖像は土中に埋もれた。彼らの存在が確認されたのは、およそお4000年を経た、19世紀末になってからのことである。
シュメール人はメソポタミアの南部で、大規模な潅漑工事を行い、運河を作り農作物の品種改良を行なった。これらの偉業は同時に、彼らが本格的な共同社会、つまり都市国家を形成したことを意味する。指導者のもとで共同で大作業を行い、また互いに助け合う社会を作った。
さらに彼らは、人類の中で文字というものを初めて使用した民族であるともいわれている。彼らの都市遺跡からは、最古といわれる粘土板に書かれた記録文書が見つかっている。それは象形文字だったが、後のくさび型文字の原型であることは、ほぼ間違いないという。「世界の歴史はシュメールから始まる」と称されるのも、彼らがこうした数々の文明の発祥者であるためである。
ところがこのシュメール人は、あまりにも謎が多い。いつ、どこから現れたのかさえ、わかっていない。発掘調査によると、もともとメソポタミア南部の住民は、先に栄えた北部からの移民だったらしい。その移動の時期はおよそ紀元前5500年ごろだったという。しかし、いつからか、どこからともなく現れたシュメール人が、ここに住み着くようになる。そして急激にこの土地を文明化していく。
彼らがメソポタミアの原住民ではなく、また北部からの移民でもないことは、19世紀以降に行われた現地の発掘調査によって明らかになった。その証拠の第一は、骨格である。頭がい骨が妙に幅広く、他の周辺住民のもとはまったく違う。そればかりか、人種の確定すらできていない。
そして、第二は、粘土板に記された文字である。たまたま後にこの地を支配するアッカド人による、アッカド語・シュメール語の対訳辞書が発見されたため、かろうじて判読することはできたが、その文法はまったく違うものだった。さらには、世界中のどの言語の系統にも属さないという。
彼らはいったい何者だったのか、それに、この地で急激に文明を開花させたということも、妙である。それはつまり、彼らがメソポタミアに移る前から、その技術や文化を身につけていたことを意味するのではないだろうか。だとすれば、それらをどこでどのようにして手に入れたのか。
遺跡はただ、その高度な文明の姿を今日に語るのみである。だが、発掘された粘土板に記された神話にはこの謎と少なからず関連していると思われるものがある、その中の一つが、奇妙な生物オアンネスである。海から登場したこの生物は、シュメール人の人びとに農業、都市や神殿の建設、文字、法律、数学、芸術、それに秩序などを人間の言葉で平和梩に伝授したという。
これらの者は、シュメール文明を特徴づけているものと見事に合致する。つまりオアンネスこそが、彼らの文明の”開祖”だったということだ。だとすれば、この生物は、結果的に全地球に文明をもたらした始祖ということになる。
またこの神話から、シュメール人の出身地を南方とする説がある。メソポタミアから見て海といえば、南に広がるペルシア湾しかない。この物語は、船を使って北上してきた彼らを反映しているということである。実際に彼らが輸送や交易で船を多用したいう事実もこれを裏付けている。ただし、南方だとしても、それがどこなのかは特定できていない。
『神々の造った地球』 知的冒険倶楽部
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