加藤のメモ的日記
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2011年01月25日(火) 集団的自衛権とは(4)

自国の軍隊を持たないうえに、アメリカに守ってもらいながらも「自衛権を放棄しない」というのはどういうことでしょうか?そんなことができるのでしょうか?

それはどういうことかといいますと、自分の国は自分で自衛するという大原則もありますし、集団的自衛権の行使もサンフランシスコ講和条約で認められているわけです。その結果、いちおう現在の憲法解釈によっても、日本は集団的自衛権を認められているわけです。ただし、権利は認められているが、行使はできない、というのが、法制局の解釈です。この集団的自衛権については、日米安保条約においても認められています。日米安保条約の前文は「日本国およびアメリカ合衆国は、両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有している」とあります。

ここにある「個別的」というのは、日本が自分で自分の国を守るということです。そして、日米安保条約があるために、日本には集団的自衛権もある、とここで書かれています。

この日米安保条約での集団的自衛権とは、本来的にいうならば、アメリカが攻撃された時に日本がアメリカを助けに行くことができるということです。そしてその逆に、日本が攻撃されたならアメリカが助けに来る、ということです。また、たとえばフィリピンが襲われたとしたら、それはフィリピンと軍事同盟を結んでいるアメリカにとって不都合なことであるから、同盟国のアメリカがフィリッピンでの非常時に助力してほしいと言ってきたならば、日本はフィリピンまで出ていくことも法律上は許されてる、ということになります。これが集団的自衛権というものです。

これを法律上ではどう解釈するのかというと、「集団的自衛権の固有の権利を保持していることは認めましょう、しかし行使する権利はないですよ」という非常に持ってまわった解釈が、現在の法制局の憲法解釈なのです。

このように、日本には集団的自衛権を保持することが許されています。しかし、その権利を行使することは許されていない、というのです。なぜそんなもってまわった解釈がなされているのかというと、集団的自衛権で国外に出ていった軍隊というのは、当然「武力」とみなされるからです。憲法第9条では「武力はこれを保持しない」とうたっているため、日本は憲法上は武力を持っていないことになっています。そうすると、集団的自衛権で国外に出て行った自衛隊は、現地で「武力」を使えなということになるのです。

ここに、現在の憲法が持っている、非常に大きな矛盾というか、まやかしが出てくるわけです。このように考えると、中曽根元首相が言っている憲法の改正というものと、自分の国は自分で守るという自主防衛、これは最終的には集団的自衛権になりますが、この問題とは表裏一体の関係になるということです。

普天間基地移設問題で、鳩山政権の迷走は少なくとも日本の国民にとっての問題提起にはなったと思うのです。2009年末から現時点まで、普天間基の地移設問題における「最低でも県外、可能なら国外」という鳩山さんの中にある大原則が実現できなかった結果、批准の矛先がアメリカではなく、すべて鳩山さんに向けられることになってしまったのです。つまり、「ヤンキー・ゴー・ホーム!」という声が上がらなかった。

しかし、いろいろな案が上がっては消えてゆく過程で、「日本にアメリカの駐留軍があるということは、本来おかしいことかもしれないなあ」という問題提起となったという効果はありました。それは鳩山さん、つまり国家の最高責任者があれだけうろうろとさせられた影響だといえます。鳩山さんの要求は「アメリカの海兵隊全体を撤退させろ」というものではなく、普天間基地だけをグアムに移設してほしいというものでした。

海兵隊の一部をグアムに写すことはアメリカがすでに決めているわけですし、普天間基地というのは民家がたくさんある中につくられている基地ですから、鳩山さんの要求自体は、それほど高飛車なものではないのです。

普天間基地というのは沖縄県民の生活エリアの真っ只中にある基地といえるものでした。そういうことを考えてみると、今回の問題は普天間基地の移設だけの問題ではない、そもそも沖縄にはなぜアメリカ軍基地が集中しているのか、そうして日本にアメリカ軍基地を半永久的に置き続けることを許している日米安保条約とは何か。そこに問題を広げて考えてみなければいけないと思えるのです。

戦後の日本国憲法が制定される時、アメリカに憲法の原案を見せられ、これで日本の国会は議決して憲法を制定しろといわれたのですが、この時の憲法担当の国務大臣であったのが斎藤隆夫です。その斎藤が戦後の憲法の草案、特に9条2項を読んで「この条項では軍隊を持てない」ということに気付きました。しかし、斎藤をはじめとして当時の日本人には、誰もこの憲法の草案はアメリカが作ったものだったので触れることができませんでした。そのため、斎藤はこの憲法に失望したそうです。

軍隊を持たないかぎり近代において国の独立は守れないのです。軍隊がなければ「国土」「国民」「主権」の三つの近代国家の要素を守れないのです。そうでなければ他国の軍隊に独立や平和を守ってもらう保護国になるしかありません。これは世界の常識です。

当時は吉田茂の内閣でしたが、当時の共産党書記長であった徳田球一が国会の討議で、「今度の新しい憲法の9条は、このような内容になっているが、これでは国は独立を維持できないのではないか?」という趣旨の質問をしました。日本共産党でさえ驚き、そんな反論をする性格の憲法だったのです。ですからアメリカも、日本が占領を解かれて独立を回復したら当然憲法を改正するだろうと、と見ていました。

どうして戦後の日本は、国家として独立できないような憲法を受け入れてしまったのか。それは、戦前において、日本政府が軍部をコントロール(シビリアン・コントロール)することができなかったことが問題でした。つまり、戦前においては、軍部が内閣の上位にきてしまったことが問題でした。なぜ軍部が内閣の上位にきたのかというと、それは天皇の統帥権というものが戦前にはあり、この統帥権に政府は触れることができないと、「統帥権の独立」が明治憲法では規定されていたからです。

だから、政府がどんなに反対しようとも、軍部がその統帥権を盾に動くというように、統帥権が発揮されてしまうと、戦前の日本政府は何もできなくなってしまったからです。さらに、軍部によって「統帥権干犯!」といわれれば内閣は総辞職しなければならないような構図だったのです。

そのようにして、軍部が独裁化し、暴走していった経験が日本にはあるわけです。さらに、満州事変は侵略であると戦前に警告されていたのに、その侵略戦争を続けたことの罪を問われたために、そのような過失を犯した軍隊を持つことができないという憲法を受け入れざるを得なかったのでした。

しかし、この憲法が施行された時、日本は占領下にありました。当時、アメリカ軍は占領軍として日本に駐留していますから、日本に軍隊がなくともアメリカ軍が駐留して日本の独立と平和を守ってくれているという状況でした。だから日本に軍隊(武力)がなくてもいいのだ、国際信義を重んじ、それにのっとった上で自分たちは軍隊を持たないとしたということが、憲法の前文や第9条での規定を見ればわかるのです。

このように、戦後に制定された日本国憲法というのは、日本がアメリカ軍の占領下にあるという前提で作られたものなのです。しかし、この占領状態というのは、法的には昭和27年(1952年)には終わっています。

その当時、GHQのメンバーであり、日本国憲法の草案を作成したケーディス大佐という人がいますが、ケーディス大佐は占領が終わったあとに「占領が終わっても、日本があの憲法を使い続けるとは思わなかった。日本が独立を回復したら必ず憲法を改正して、自分たちの軍隊を持つようになるだろうと思っていた」というわけです。しかしそうはならなかったということを、アメリカ人であるケーディス大佐ですら不思議がったのです。これは、日本人が戦前の軍部の暴走を反省し「もう戦争はいやだ」という心理に陥っていたからでしょうね。

世界を東西に分かつベルリンの壁が壊された1989年というのは、まさに冷戦構造が崩れたときでした。二つに分かれていた世界が一つになったのだから、アメリカが自由主義圏を守る「世界の保安官」ではなく、もうアメリカのことしか守らない、という戦略に変わっていったことを認識するならば、その時に日本の土地ばかりか、アメリカの土地やエンパイアステートビルさえ買っていた「金あまり」の余剰資金を用いて、日本は「自分の国は自分で守る」という戦略を立てるべきだったのです。

つまり冷戦構造解体以後の国家戦略や防衛、安全保障の問題を考え、日本の国の形、ナショナルアイデンティティーを再構築するという方向へと、転換をはかるべきだったのです。冷戦構造解体後、世界各国はアイデンティティー・ゲームへと舵を切っていたのです。

しかし、日本はそれをしなかった。その結果、経済至上主義のままで、ナショナルアイデンティティーをつかみ直すこともなく、自分の国は自分で守るという気概や戦略思想も国民の中に根付かないままできてしまった。国民にはアメリカから保護国扱いされているという現状認識もないし、保護国状態にあるということに屈辱を感じない国民になってしまった、という問題点が浮かび上がってきているわけです。



『なぜ日本にアメリカ軍の基地があるのか』


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