加藤のメモ的日記
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2011年01月17日(月) 独立できない憲法(3)

どうして戦後の日本は、国家として独立できないような憲法を受け入れてしまったのか。なぜこのような憲法であるのに、受け入れざるを得なかったのか。それは、戦前において、日本政府が軍部をコントロールすることができなかったからである。

つまり、戦前においては、軍部が内閣の上位にきてしまったことが問題だった。なぜ軍部が上位にきたかというと、それは天皇の統帥権(軍部に対する最高指揮監督権。通常は国家元首がこの権利を持つ)というものが戦前にはあり、この統帥権に政府は触れることができないと、「統帥権の独立」が明治憲法には規定されていたからである。

だから、政府がどんなに反対しようとも、軍部がその統帥権を盾に動くというように、統帥権が発揮されてしまうと、戦前の日本政府は何もできなくなってしまっていたからである。さらに、軍部によって「統帥権干犯!」(政府がその権限をこえて天皇の統帥権にふれようとしている)といわれれば、内閣は総辞職しなければならないような構図だった。

そのようにして、軍部が独裁化し、暴走していった経験が日本にはある。さらに、満州事変は侵略であると戦前から警告されていたのに、その侵略戦争を続けたことの罪を問われたために、そのような過失を犯した軍隊を持つことができないという憲法を受け入れざるを得なかったのである。

しかし、この憲法が施行された時、日本は占領下にあった。当時、アメリカ軍は占領軍として日本に駐留しているから、日本に軍隊がなくてもアメリカ軍が駐留して日本の独立と平和を守ってくれている、という状況だった。だから日本に軍隊がなくてもいいのだ、国際的信義を重んじ、それにのっとった上で自分たちは軍隊(武力)を持たないとしたということが、憲法の前文や第9条での規定を見ればわかるのである。

このように、戦前に制定された日本国憲法というのは、日本がアメリカの占領下にあるという前提で作られたものである。しかし、この占領状態というのは、法的には昭和27年(1952)年には終わっている。

その当時、GHQのメンバーであり、日本国憲法の草案を作成しためーディス大佐という人が、占領が終わった後に「占領が終わっても、日本があの憲法を使い続けるとは思わなかった。日本が独立を回復したら必ず憲法を改正して、自分達の軍隊を持つようになるだろうと思っていた」というわけである。しかし、そうはならなかったということを、アメリカ人であるケーディス大佐ですら不思議がったのである。これは、日本人が戦前の軍部の暴走を反省し「もう戦争は嫌だ」という心理に陥っていたからだろう。

日本は独立国ではなく保護国

本来であれば、現在の憲法はとっくに変わってしまっていてもおかしくない。では、規定の上では憲法そのものを変更できるはずなのに、なぜ日本はそれをしなかったのだろうか。

なぜ、日本が軍隊を持たない、戦力の不保持という憲法を保持し続けたのかというと、それは日本とってはそうし続けることが都合がよかったからということがある。戦前の軍部が独裁化してしまったという失敗を味わったこと、その失敗の味がとても苦かったということもある。結果として他国に守ってもらうことの安楽上に甘えたわけである。

また、財政的にみても、軍隊を持たなければ軍事費があまり発生しないというメリットもあった。それに軍隊を持てばその軍隊をどのような規模で整備するとか、戦略そのものを考える困難さと手間の必要があるが、軍隊を持たなければそういったことを一切考える必要もない。国家としての重要な仕事を一つ減らすことができたわけである。そのかわりにアメリカ軍が日本を守ってくれるのである。

しかし、そのような状態は独立国であるとはいえないのである。だから、文芸評論家だった江藤淳氏などは「日本は半独立国である」という発言をしたわけである。しかし、政治上や外交上では、江藤氏がいうような「半独立国」という言い方ではなくて「保護国」という概念、呼び方がされる。

アメリカによる占領は昭和27(1952)年で終わるが、アメリカはその後も日本のことを保護国と考えていた。こういった考え方を代表していたのが、カーター大統領の政策補佐官を務めていたブレジンスキーという人物だった。

彼は「日本はアメリカの非保護国である」ということを1997年に論文の中で述べている。また彼は、「日本なんていっているが、あれはアメリッポンである」ともいっている。つまり、「日本とは、ほとんどアメリカの従属国で、アメリカによって守らなければ自分の国を守れない国である。だから日本はアメリカの保護国である」というわけである。保護国とは、主権・国土・国民を持った独立国ではあるが、他国に守ってもらわないと独立を保っていけない国ということである。

独立国とは、必ず自分の国を守るための国軍を持たなければならない、というふうに考えられるものだが、日本の場合は建前とすると、憲法上で軍隊を持つことができなくなっている、第9条に「陸海空軍そのほかの戦力は、これを保持しない」という条文があるからである。しかし、自衛権を保持しているから、そのための自衛隊を持つ、というのが日米安保条約を結んだ自民党政権の解釈だった。

ただ、これは専守防衛の組織であって、周辺地域の平和を守る役割を放棄していることにもなる。だから、アメリカ軍が駐留軍基地を設けて日本を保護してあげているんだ、という考え方になるわけだから、その意味で日本はまさにアメリカの保護国であるともいえるのである。

日本が単独で自国の独立と平和を守れない状態を改めて自主防衛を図るとすれば当然のことながら「戦力の不保持」を宣言している憲法を改正しなければならない、自主防衛と憲法改正はセットになる。鳩山由紀夫氏の祖父・鳩山一郎や中曽根康弘元首相は、これを当然セットと考えていた。




『なぜ日本にアメリカ軍の基地があるのか』











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