加藤のメモ的日記
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2011年01月02日(日) 左翼反日集団 (1)

日本は国家存続の正念場にさしかかっているといえるのではないか。中国による主権の侵害や北朝鮮の拉致に手も足でない政府のテイタラクをみると、おおげさではなくそんな強い危惧を抱かざるを得ない。中国の胡錦涛政権は「新思考」どころか、ますます、首相の靖国神社参拝批判や日本の歴史認識への攻撃を強めている。ここにきて公然と日本を軍事力で威圧し、日本の領土、資源をかすめ取る動きも本格化させた。

北朝鮮は組織的な日本人の拉致を認め、謝罪してからもさらった日本人を返そうとしない。それなのに日本政府は、さらった多数の日本人を今すぐ全員返せともいってこなかったし、主権侵害に強く怒ることもしないのである。国と国との関係でこれ以上の「傲慢」と「屈辱」があろうか。それを傲慢とも感じないのだとすれば、国家としても、個人としても正常な感覚が麻痺してしまっているというほかない。

人の命を虫けらほどにも思わない独裁者となお、話し合いが可能であるかのような言論が横行したり、中国の脅威がここまで高まっているのに、中国をパートナーとしてEU(欧州連合)のアジア版といわれる「東アジア共同体」が真顔で語られたりしているのがその愚かさの何よりの証左である。2005年の年頭の朝日社説も「東アジア共同体のすすめ」といった内容だった。

中国や韓国の教科書への介入にあたふたする日本を見てある外国人が、「先進国の日本は何でもそろっているが、たった一つないものがある。それは独立だ」と語ったというが、外国人の指摘を待つまでもなく精神的に他国に隷属する国民はもはや、亡国の民としかいえまい。

このように日本人を麻痺させ、精神の武装解除と呼べるような状況に追い込んできたのが国を売る政治家や文化人、マスメディアの存在である。とりわけ「不偏不党」「客観報道」を標榜し、それがさもまっとうな言説であるかのように日本人を洗脳してきたマスコミの罪は重い。その代表は新聞では朝日新聞、出版では岩波書店、テレビでは筑紫哲也、久米宏両氏らとその番組であったといえば意味するところは明白だろう。

彼らは冷戦で共産主義陣営を支援したいわゆる左翼だが、「心の祖国」ソ連が敗北し、消滅してもその心根を変えない。共通しているのは、日本を憎悪し、進んで中国など隣国の干渉を受け入れる自虐的な姿勢である。

かって、思想家の福田恒存は、戦後の日本が侵されている病を「平和の呪い」といったが、彼らはまた、「平和」とか「人権」とかいう言葉が大好きで、イラク戦争では人間の盾まで推奨したが、テロとどう戦うのかは語らず、中国や北朝鮮という共産党独裁国家の人権問題にも興味を示さない。北朝鮮にさらわれた日本人の運命にも冷淡である。

そして中国や韓国の力を借りてする日本叩きだけは熱心なのである。まさに「反日派」、「虐日派」と言われるゆえんだろう。和私事だが、私が朝日新聞の害毒を考えざるを得なくなったこんな経験がある。私がまだ新聞社の政治部記者だった時のことだった、冷戦がソ連の敗北で終わって間もなく湾岸戦争が勃発したとき。首相官邸での記者会見で朝日新聞の記者が声を張り上げて海部俊樹首相を追及したのである。

「自衛隊を海外に派遣していいのか」その声はまるで出来の悪い子を叱りつけるような口調だった。自衛隊の医療や後方支援が話題になったときのことだ。首相は大声で反論するのかと思いきや、しきりに何やら言い訳するかのごとき印象だった。慌てて、私は手を上げて「逆の立場から質問したい。自衛隊を派遣しなくて本当に日本の名誉を守れるのか」と首相に質した。首相はまたしてもしどろもどろだった。

世界の危機と呼ばれ、米軍を中心とした多国籍軍が組織されたあの戦争を日本の岐路だと感じていた。だから、私たちも必死だったが、結局、日本は金は出したが、人的支援は行わず、「日本は湾岸戦争を対岸の火災視」「日本の外交は小切手外交」「日米は紙の同盟」と言われて世界の笑いものになってしまった。

平和が重要なのは言を俟たない。だが、その平和を守るためには、平和を侵すものに対して時には武器を持って戦わなければならないというのが人類社会の変わらぬ真理なのである。ところが日本の戦後ときたら、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という憲法に象徴されるように、平和は叫んでいさえすれば実現するという幻想が、蔓延するにいたった。そのとどのつまりが、今のぶざまな日本の姿である。

湾岸戦争では、朝日新聞の影響力の大きさというものも思い知らされた。学界や財界、政府、特に外務省、自民党内、メディアにも朝日新聞に呼応する「平和主義者」がウヨウヨしていたのである。同時に朝日的な言論を打ち破らなければ日本が真の独立国家になることはないと確信した。

あのころから朝日新聞は、変わったのだろうか。確かにPKO(国連平和維持活動)を限定的に認め、日の丸、君が代の法制化を追認する程度のことはしてきた。しかし、イラク戦争や北朝鮮の拉致事件、また中国に対する取り組みなどをみると、日本に対する嫌悪を断罪、口先だけの平和主義、反米などと言ったこの新聞の特徴はいささかも変わっていないと断じざるを得ない。



『朝日新聞が中国を驕らせる』


加藤  |MAIL