加藤のメモ的日記
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| 2010年12月05日(日) |
全国民的怒り「住専問題」 |
テレビ朝日やTBSに比してフジテレビや日本テレビから私に声がかかることは少ないのだが、今度の住専問題では各局からコメントを求められる。それだけ全国民的怒りとなっているのだろう。『潮』の96年3月号は「住専糾明」と題したその特集で一冊を埋め尽くしている。関東は財部誠一の「住専のすべて」100枚。中に金融アナリストのこんな解説がある。
「銀行業界に預金保険機構があるように、実は農協系金融機関にの貯金保険機構がある。信連が倒産したときには貯金保険機構を使って処理すればいい。しかしそれをしないということは、農協系金融機関の経営者や幹部が経営責任の追及から逃れるためとしかいいようがない。政治家にしても、信連の幹部は票の取りまとめ役だからむげにはできない。極論すれば信連の幹部救済のために税金を使ったようなものですよ」
まだ使うことが決まっていないから「使った」と過去形にはできないが、しかし、農協系よりもずっと責任が大きいのは大蔵省と銀行である。私は、「住専問題は銀行問題であり、大蔵問題であり、そして暴力団問題だ」と言っている。地上げなどに暴力団を使った銀行は彼らに食い込まれ、バブル期に”狂存狂栄”の道を歩む。それがこの問題のポイントであり、それでおかしくなった銀行を救うために大蔵省が「公的資金」という名の税金の投入を考えたということなのである。
官房長官になる前に書いた『文芸春秋』2月号の一文で梶山静六は、アメリカでは経営責任の追及と金融政策担当者の責任の明確化を徹底してやり、千数百人が有罪判決を受けたことに触れながら、こう指摘している。
「公的資金の導入とは、これほどの血を流さねば許されないのであり、政治の役割は公的資金をつぎ込む前に、誰がこの危機を招いたのか、どの組織が政策決定を行なったのかを国民の前にさらけ出すことなのである。90年代の初め、バブルの破綻は目に見えていたのに、大蔵省が何をしたのかを思い起こさねばならない。
バブル経済を押しとどめようとしなかったばかりか、『赤字公債依存からの脱却』を金科玉条のように唱えてバブルの波に乗った、当時の大蔵省幹部が、今も素知らぬ顔をして重要ポストに居座ったり、、天下り生活を謳歌することなど、許されるはずがない。銀行の経営者も同様だ。いま銀行は、空前の低金利の中で膨大な利益を得ている。それは預金者の犠牲に基づくものであり、換言すれば国民はすでに形を変えた増税を強いられているのである」私はこれに全く異論がない。梶山は官房長官になってもこの線で強く推していくことを望みたい。
『潮』の別冊には私も大蔵省批判を書いたのだが、私とはさまざまな点で意見が違う矢沢永一の「税金を使うのは国家を『私』することだ」という一文が、ほとんど私と同じ主張なのに驚いた。冒頭に書いたように、フジテレビが私にコメントを求めてくるはずである。谷沢は当時の大蔵省銀行局長土田正顕を槍玉に挙げ、こう書いている
「私はこれまでいろいろな人々を批判してきましたが、必ずその人物のどこかに、その人の社会的存在の可能性を認めてきました。人をとことん追い詰めたことは一遍もありません。意識的にそうしてきました。しかし今回のこの人物だけは許すことができない。引き回しにし、鋸引きにして、串刺しにして、それから車裂きにして、釜茹でにして、火あぶりにし、磔にして、獄門首にしてもなおあきたりないと私は思っています」
…… 岸は、30才前後にやる地方の税務所所長生活が大蔵官僚を狂わせるとして、ある中堅幹部のこんな声を紹介する「昨日まで夜中の12時、1時までコピー取りや夜食の手配といった小間使いをさせられていた人間が、次の日からいきなり床の間を背に座らせられる。宴会、ゴルフ、視察旅行と連日、下にも置かぬもてなしを受け、やがて接待慣れしてくると、これが当たり前と思い始める。
所長を辞める時には常識をはるかに超えるせんべつをもらい、金銭感覚までマヒしてしま。うちで起きたさまざまなスキャンダルの原点に、税務署長の制度があるような気がしてならない」それあらぬか、大蔵官僚に「思い出のポストは」と尋ねると、ほとんど全員が「税務署長」と答えるという。
…… 『彷書月刊』という小さな雑誌が「自由律俳句の人びと」という特集を組んでいる。取り上げられているのは荻原井泉や尾崎放哉。そこに山頭火の名はない。生というもの、つまりは死というものを深く考えた点で、山頭火は放哉に遠く及ばない。上野ちづこという俳人の一文がそれに触れて興味深い。
「私にとっては、放哉は自由律俳人のうちに入らない。彼は俳人でさえない。彼は俳句を超えたところで、極限の『詩』を書いた、それは失語の果てのため息、誰も聞いていないのにそれでも漏れてしまう呼吸、生命の音、そしてその音が言葉のかたちをとってしまうために、自分以外の他者へとつながるか細い通路なのだ」こう書いた上野は放哉の句に「にんげん」であることのユーモアと畏敬を見ている。 せきをしてもひとり これが上野と共に私の好きな放哉の句である。
…… 開拓団として中国に渡ったスミは、ソ連軍の侵入によって驚天動地のひどいことになり、日本の関東軍はまったく頼りにならなくて、自決を決意する。その開拓団の団長だった夫は、真っ先に自分でのどを突いて死んだ。地獄の光景を、はじめてスミは夢千代に語る。
「…私も、主人に遅れたらいけないと急いで主人の手から、ナイフを取りました。……あっちでも、こっちでも親が子供を殺しておりました。兄が妹を殺しておりました」「………」「私は長男を抱き寄せて、ごめんね、ごめんねと言って、ナイフで……ナイフで……」「おスミさん……」「夢千代さん、私は子供を捨てたなんて言いましたが、ウソです。子供を殺したんです。自分の手でのどを切って殺しました」
…… そこで横田は、クリスマス・イブに銀行でクリスマス・プレゼントの交換会をやるために、こんな事態が発生する、と発言した。「女の子なんか、イブの日は彼氏とどこかに行きたいのは当たり前です。ところが、その女の子たちを出席させることが上司の『管理能力』になる。一人一人支店長室に呼んで、女の子がそんなの行きたくないと泣いているのを、40、50の男が3人、4人で取り囲んで、出席者の欄にハンコを押せとやるんです。それでも出席させられないような上司は管理能力ゼロだとみなされる」
すさまじい話である。これでは銀行は”収容所”か”監獄”だ。しかし、中にいる人間はそうだとは思っていない。退職してからも、迷惑がられながら銀行に行って何かの役に立とうとする元支店長の哀れな姿を見て、たまらなくなった夫人からの長い手紙が載っている。
「それはもう。会社への忠誠というより、何か得体の知れない、宗教に取りつかれているものとしか考えられません。一生、死ぬまで抜け出すことができない、会社という宗教。主人はその宗教に乗っ取られてしまっているのです」
……… なるほどと思ったのは、オウム真理教の信者にはクレジットカード破産者が多いということである。たしかに、一時は、上九一色村等に逃げ込めば、誰も債権を取りには行けなかった。ピープルズ・バンクを標榜する銀行がいかに庶民のためになっていないかであり、弁護士がいかに特権的な既得権擁護に躍起となっているかである。一度でも銀行から金を借りようとした人は、その手続きがどんなに面倒で、結局は、銀行がなんとか貸さないようにするかに腹を立てた経験があるだろう。その陰湿、無責任な土壌の上にクレジット社会の徒花は咲いた。
『佐高信の寸鉄刺人』
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