加藤のメモ的日記
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12月25日が「何の日か?」と聞かれればほとんどの人は「キリスト教の開祖、イエス・キリストの誕生日」と答えられるだろう。ちなみに、「イエス」というのはごく一般的なユダヤ人の人名、「キリスト」はギリシア語で「救世主」の意味で、姓ではなく称号のようなものだ。欧米をはじめキリスト教国の人々は、クリスマスを「降誕祭」とし、この世に救いをもたらす“救世主”の誕生を盛大に祝う習慣がある。ただし、実際にイエスが12月25日に生まれたという証拠はどこにもない。生涯を通じて謎に満ちたイエスだが、誕生から「謎」に突き当たってしまう。
何故キリストの誕生日が12月25日なのかというと、この日は当時の暦では「冬至」に当たる。冬至といえば1年中で昼の時間が最も短くなる日。古代ヨーロッパの人々は、1年の折り返し点となる冬至を重要な祝日とし太陽の復活を祈る冬至祭りを行なっていた。
つまり、生命の誕生を祝う意味の祝日ではあったが、もともとはキリスト教のお祭りではなかった。それがイエスが没して300年以上が経過した4世紀になって、イエスの誕生日と定められたという経緯があり、実は本当の誕生日は不明なのである。
誕生年についても不明で、紀元前8〜前4年ごろというのが通説である。この誕生年から、「紀元元年が、イエスの誕生日ではないのか?」と疑問を持った方もいるだろう。たしかに、西暦ではイエスの誕生年を紀元元年とし、それ以前を紀元前BC、それ以降を紀元後ADとするが、これは6世紀以降の考え方であり、初期教会史の誤りから実の誕生年と西暦の間にズレが生じてしまったようだ。このようにキリストの生涯は、はじめから歴史的な大誤算に彩られている。
出生地や誕生についても謎だらけ。通説つではイエスは中東パレスチナにある小村の馬小屋で誕生し、母マリアは「処女懐胎」つまり聖霊によって身籠ったとされる、父(養父)は大工のヨセフで、真の父は神である。ただし、出生地についてはパレスチナのベツレヘムといわれる一方で、同じくパレスチナの「ガリラヤ地方のナザレ村」である可能性が高いとする説もあり、母の処女懐胎についても諸説ある。福音書の分析によると、最古の「マルコ伝」には処女懐胎の神話はないという。そこで、処女懐胎は後に救世主であるイエスの存在を強調するために加筆されたのではないかという見解が現在では一般的だ。
一方、イエスを敵視したユダヤ教の文献を見ると、イエスは私生児であり不倫の子であることを強調する記述も見られる。敵対した背後には、イエスが独自の教えを説き、ユダヤ教のあり方に批判的だったという事情がある。イエスがヨハネから洗礼を受け、ユダヤ教の法律教師となるのは30才の頃、自分は神の子であると確信したイエスは40日40夜を荒野で過ごし、悪魔の誘惑を退けたのち、12人の弟子を得てガラリア地方で本格的な宣教を始める。その教えはユダヤ教とは異なり、誰もが「神の愛」によって救われ、父なる神の愛は弱きものにこそ及ぶ、というものだった。
布教活動の際には数々の奇跡的な行為にも及んだ。重い病を治す、目の見えない人に光を与える、水上を歩行する、5つのパンと2匹の魚だけで5000人もの人々を満腹にさせるなどの奇跡を目の当たりにし、民衆の支持は広がりを見せた。イエスは人の生死さえ操れるほどの神通力をいつどこで宿したのだろうか?残念なあら、幼少期をナザレで過ごして以降、13歳から30才で洗礼を受けるまでの約17年間の足跡は空白になっている。
福音書の内容の多くは洗礼後のイエスの動向だが、彼が実際に教えを説いた期間はわずか3年。布教活動によって信者も順調に増えていた矢先、イエスは弟子と共に性と得るさえr無に入場する。ユダヤ教の大祭の日だった。しかし、弟子のひとりユダの裏切りからユダヤ教指導部によって捕えられてしまう。反ローマの危険人物としてローマ総督に引き渡されたイエスは死刑判決を受け、ゴルタゴの丘で十字架刑に処せられた。イエスの生涯は34年といわれているが、ただし、正確な没年は不明だる。イエスは事前に自らの死と復活を告げていたが、復活を信じる弟子たちによって原始キリスト教団が成立した。そして、イエスを救世主、キリスト、すなわち神の子であるとして、この宗教を世界中に広めていった。
予言通り、イエスは3日後に復活する。弟子たちの前に現れ、「全世界に行って福音(神の教え)を宣告せよ」と告げる。そして復活から40日目、弟子が見守る中、オリーブ山の山頂から肉体のまま昇天し、姿を消す。福音書によると、イエスは十字架に釘打たれ、ほどなくして息耐え、ローマ軍兵士によって槍で胸を突かれた。つまり、息を引き取ったのはローマ兵が剣でイエスの体を突き刺す前だったことになる。死体は総督の許可のもとに取り降ろされ、仮埋葬されたが、3日後には超常的な復活を見せ、弟子たちのもとに現れた。一度死んだ人間が肉体をもって姿を現したというのは不思議だが、この復活劇については、さまざまな仮説・奇説がある。
十字架上では死なず蘇生していた。この伝承から、さらに多くの奇伝が生まれた。例えば、蘇生したイエスは故郷に帰って生き永らえた。あるいは、イエスには双子の兄弟がいて、その兄弟が処刑死した後復活劇を演じた。秘密結社エッセネ派がイエスの体に薬剤を塗り、仮死状態になるための工作を施していた。いずれも仮説の域を出ていないが、イエスを埋葬した墓穴が三日目までに空になっていたことは事実とされる。
イエスは本当に蘇生して墓穴から脱出したのか、それとも死体は盗みだされたのか、移し変えられたのか?死体の行方についても多くの仮説があるが、真相は謎のままである。
福音書はイエスの死後、紀元60〜100年頃に弟子たちによって編纂されたとされている。そこで弟子たちの主観や希望から改ざんされた可能性、または創作が加えられた可能性は否定できない。確実な物的証拠が乏しく、謎がさらなる謎を呼ぶ、イエスキリストのミステリー。しかし、2000年余前に誕生した一人の男が、長い時間を経て壮大なる歴史力を保持し続けていることだけは紛れもない事実である。彼の登場によって歴史の流れが大きく変わったことも。
『世界史の謎と暗号』
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